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■ アンチエイジング | 2007. 8. 7 |
この言葉は卆直に言って、あまり好きではない。 人間らしい「エゴ」の大昔からの究極の願望「不老不死」という言葉の現代版であり そこにはさらに「若さ」と「美しさ」への欲望が見え隠れする。 その深い根底にあるのは人間の持つ性エネルギーなのですが、殆どの場合自覚はない。 考えてみれば、奇妙な言葉である。 アンチは「反」 エイジングは「加齢」。結合させて「反加齢」。 新しい造語としてはオモシロイけれど、人間が年を取らずに生きることはできない。 「年齢より若くしていたい。若く見られたい」という欲求なら理解できるが・・・。 「若く見える」というのと「実際に若い」というのは違う。 意外にも高齢の方の場合、「ジジクサイ」「ババクサイ」 どこかしら、ヨボヨボした感じの人は「長生き」をするような印象で、謂わゆる「若づくり」の人は案外短命だったりする。 原因のひとつは、本人が「若く見える」ので「若い」と勘違いして、「若い人」のように荒々しく行動したり、飲食や性行動が放埒になったりしてカラダを痛めてしまうのではないか。 もうひとつは、「若さ」を求めるあまり無理なダイエット、エクササイズなど、負荷をかけ過ぎることが原因しているのではないか。 3つ目は、これまた「若さ」を求めて余計な「健康法」や「健康食品」サプリメントを摂取し過ぎ 「若くなり」「元気になり過ぎた」結果、命を燃やしてそれを縮めるのではないか。 身近な例を上げれば、「朝鮮人参」という昔から有名な精力増進剤があったが、これを毎日飲用して、毎日それに励んだ友人がいたが、40才代前半で亡くなってしまった。 何事も無理は良くない。 極端を避け、年相応に、自然にしていることだ。このことは、大昔からの養生剤の黄金律。 しかしながら、有名な貝原益軒という人の書いた「養生訓」なるものがあるが、これを読むと、 少々息苦しくなる。 そもそも「人生はカラダに悪い」と言い切ったロシア人の友人がいたが、良い得て妙であるし、 何かしらホッとする。 私達は、人生から、楽しみを得ようとするが、「楽しむ」ということの中に「愉快」「満足」と同時に 「消費」「消耗」という意味が込められている気がする。 人間は単なる「管」だ。 そこに、飲み物や食べ物や空気が流れる。流れが止まれば死ぬ。 流れる「もの」の質が悪く、量が多過ぎれば傷みも進む。 この「管」をあまりこねくりまわすことも傷みを増幅させる。 上手に生きるには、あまりにありきたりで陳腐な言葉であるが 「過ぎたるは及ばざるが如し」 「及ばざるは過ぎたるに優れり」 に尽きる。 何でも、ホドホドが良かろうと思える。 追記【1】 少し前に流行ったタンパク質のみ食べてダイエットする健康法があったらしいが、これは危険である。 人間の歯の構造から類推して、人間の食べる物の中心は、やはり穀物や野菜であるのに タンパク質ダイエットを忠実に実践して痩せた友人が50代で亡くなった。 追記【2】 最近「歩け歩け」と盛んに健康雑誌に書いてあるが、確かに糖尿病やメタボリック症候群には効果があるが、残念ながら、見かけは逆に「老けた」感じになる人が多い。多分「日光老化」か何かのエネルギーの喪失であろう。 本当に健康問題は難しい。 酒もタバコも吸って長生きする人もいっぱい見てきたし、やらずに短命な人もまた多く見てきた。 メディアも含め、巷の情報もあまり簡単に鵜呑みにせず、少し冷ややかに聞いておくことだ。 メディアも友人も、アナタの健康を真から思って言っているワケではないかも知れないし、 テレビなどでは殆ど商業放送なのだから「何かを売りつける」為の道具だし、広告主に不利な情報を流すことはないと想像できるから「国民の為の情報」とは言いきれない。 私の母は、色々調べてきて、私にさまざな健康法を伝授してくれたが 「酒は飲むな」 「運動はするな」 「朝飯を食うな」 どうも健康法なるものは「戒」の方が多く「勧」が少ないのでやはり息が詰まる。 できるだけ好きなように生きたい。 カラダを上手にいたわりながら・・・。 ついでに付記すれば医者の言うことも盲信しないほうがヨロシイかと思う。 何故なら個人差というのがあるし、好みもあるし、趣味もある。その上「医学」はまだまだ発展途上で完成品ではないのだ。 未だに「現代医学」で治せない病気が山のようにある。 ただ、病院に行けば少しの「慰め」と「除痛」と「除苦」と「癒し」なら求めて得られないことも無い。 ありがとうございました。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |