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■ 男の和装 | 2017. 1. 3 |
あけましておめでとうございます。 自分の人生で絶対着ないと思っていた着物にハマりそうな気配が自分の中にある。 和服の女性にも男性にも昔から“良い”印象を持つことは無かったのだけれども、ひょんなことから高級な着物を安く手に入れる出逢いがあって、それは骨董屋さんの知り合いでダマされたつもりで着てみたら結構イケている。 それは見た目の問題ではなく、自分自身の感覚の問題である。 和服というものは女性のようにキリッとキチッと着るべきと思っていたが、ギューギューに緊めつけて着るものと思っていたが男の場合、結構着崩してもサマになっているものである・・・ことが分かった。 何しろこのリラックス感がタマラナイ。 腰の低い位置にしめた帯以外に体を緊めつけるモノがない。 それは丁度寝巻きみたいな感じだ。 スウェットの上下よりもリラックスしていて、外観上はチョッピリ贅沢だしオシャレである。 江戸時代、明治、大正、昭和の日本人の和の文化が詰まっているような感じがする。 ついでに初詣なるものに1月1日の早朝(深夜)に和装で出かけてみたら、下着がヒートテックであった為もあるがそれ程寒くもない。 この着心地のゆる〜い感じはクセになりそう・・・と感じた。 その上、集まった群衆との親近感が洋服とは全然ちがう。 みんな着物を着て一緒に遊ぼうぜ・・・みたいな気になる。 酒を飲みたくなる。 それも居酒屋、割烹、屋台などで熱燗の日本酒を、肘を跳ね上げて思い切りグビッとあおったら目茶目茶おいしいやろなどと思ってしまう。 そこまでの魅力が男の着物にはある。 友人のドクターが外出はいつも必ず和服であったのを思い出す。 今は理解できる。 その心地良さ、その愉快さ、快適さ、リラックス感。 それはクセになるわなあ。 ただ見た目はやはりまだまだ抵抗がある。 特に履き物は雪駄や下駄や草履ではなく白いスニーカーにしている。 着物以外殆んど全て装飾品や持ち物など「洋」のままにしている。 これにマフラーをして背中を少し丸めてあまり気張って着ないようにしている。 「どうだ」みたいな雰囲気が出ないよう「寝巻き」で出て来ました・・・みたいな印象をもってもらうように着こなしているつもりである。 傍人からどう見られているかより自分の感覚を優先させていると言っても良い。 筆者の子供の頃、両親は家でくつろいでいる時には殆んど和装で庭木のある和風の家に住み、和卓で飲食をしていたが、そのような少年時代の原風景に溶け込むように自分が回帰していくのを感じる。 それは軽いノスタルジーであり、日本の生活文化への憧れでもある。 人間の衣食住は文化の中心をなす様式であるけれど「衣」から始まりそうな自身の「和」への回帰傾向には我ながら驚きを禁じ得ない。 飲食はモチロン和食中心。 家を建てるならコンクリート打ちっぱなしの要塞のような建築物で中庭を純和風にして和室をひとつ作り、そこに和卓を置いて酒を飲む・・・というのがひとつの夢である。 やっぱり意識、感覚が分裂しているなあ・・・と改めて感じる。 よく言えば和洋折衷か。まあ良しとしよう。 ありがとうございました 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます M田朋玖 |