[戻る] |
■ トライアスロン | 2007. 8. 2 |
昔、35才から38才くらいまでと記憶しているが、トライアスロンというスポーツをしていた。 【1】水泳、【2】自転車、【3】長距離走のトライ(3つ)のアスリートが語源だ。 今思えば、「何というエネルギーの無駄遣い」との後悔もあるが、一つの大きな人生経験ではあった。 出場するハメになったのは、スイミングスクールで水泳を始めたころに、 練習時間枠1時間のところをせいぜい10分くらいで倦きて、上がっていたら「目標を持てば良いヨ」 な〜んて、先輩の45才のドクターに勧められて始めた。「イヤと言えない」気の弱い性格を完全に見抜かれていた。自業自得。 弟から借りたチャリンコで遊び半分で出場してみたら、謂わゆる脳内麻薬(エンドルフィン)が結構分泌されたらしく、しばらくヤミツキになってしまった。・・・というイキサツである。 注)エンドルフィンとは、麻薬に数倍勝る快楽物質で、マラソンその他、耐久型スポーツ時に脳内で分泌されると言われている。 あちこちの草トライアスロン大会(当時はブームだった)を雑誌で見つけては、仲間と出場していた。 モチロン、天草国際大会なる世界標準の公式大会にも、外国のスター選手らと肩を並べて出場した(エヘン)。モチロン、ビリですけど殆ど。。 水泳の練習は週3回、自転車とランは毎日。 試合前は市営プールが閉園となった晩夏にも、少し藻の混じったトロ味のある生温いプールに忍び込んで練習したものだ。 試合会場の天草の海水浴場の練習では、あやうく溺れかけた。 多少、自信のついた泳力を試してみようと沖までドンドン泳いで行き、フト後ろを振り返ると岸が遥か彼方。 とても泳ぎ帰れないと感じ突然「パニック」になってしまった。不安と恐怖でカラダがとても重く感じ、 バタバタと手足をもがいても沈み込みそうになる感覚は今でも忘れない。 タマタマ、ボートでゆっくり漕いでいる人がおり、手を振って助けを求め、「事無き」を得た。 いつもながら、我ながら運が良い。 実際に、ボートに助け上げられたワケではなく「近くに、浮かんでいて欲しい」とお願いしただけだったけれども、お陰で心が落ち着き、無事、自身の力で岸に泳ぎ着くことができた。 精神的動揺の発作。 謂わゆるパニックでは、側に頼りになる人がいるだけで、大いなる安心と力を得る。 「近くに浮かんでいるボート」のような、そういう人間でありたい。 ありがとうございました。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |