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■ 歩行者 | 2016.11.19 |
高齢者ドライバーによる人身事故がつづけて起こっている。 それにつづいて起こっているマスコミとか世間の論調は予想どおりと言うべきか高齢者に何歳まで免許を許すべきか・・・などというものになっている。 どうしてこう物事や出来事についての人々の反応というのはこのように短絡的なのであろうか。 そもそも混合交通の今の道路事情においては歩行者というのはとても身近で大きな危険にさらされているのだ。 「すぐそこにある危機」そのものだ。 何せ自動車に乗っている人の危険と歩行者ではなんと100倍の差があるらしい。 つまり歩行者は運転者の100倍、交通事故による被害を被りやすいということだ。 ちなみにバイクは37倍。 いかにも危険に見えるオートバイよりも歩行者の方が危険なのである。 ・・・ということは小学生の集団登校など交通事故被害の観点から考えると危険極まりないと思える。 自動車という猛獣の前に供えてある子羊の群れと言っても過言ではない。 下校時の子供もまた凄い。 午後3時から4時にクルマを走らせていると小学生のバラバラの集団が道路を好き放題に歩いていて、ドライバーからすると恐ろしくて仕方がない。 とんでもない予想外の動き方をするのだ。 ゆっくり歩いていると思ったら急に駈け出したり、いったん渡ってしまった横断歩道を引き返したり・・・と突拍子もない動きを道路上でするのだ。 それなりに車に用心しているのであろうけれど、横に並んだり駆け足だったり遊び歩きであるので用心深い運転者からすると小さな可愛い悪魔のように見える。 ついでに述べると中学生の自転車も怖い。 ヘルメットを使用することになっているが被ったり被らなかったり、とにかくその動きがオソロシイ。 並走、「飛ばし」などザラ。 子どもの安全を確保するために、前記した歩行者の危険度を考慮するなら欧米のようにスクールバスを出すべきだと思える。理論的には100倍安全になる。 変質者被害も防げて一石二鳥だ。 夜の歩行者も危険だ。 こちら九州も夕方の6時には殆んど真っ暗。 そこに黒か紺の制服を着た中学生・高校生が闇夜にまぎれて視認するのに苦労する。ヘッドライトの前に突然現れる彼らの黒い影にゾッとするほど驚かされる。 夜の街の酔っ払いも怖い。 自動車を運転するのが好きな者からすると歩行者ほど怖いものはない。 混合交通の中では事故の場合殆んど100対0でクルマが悪いとされる。 それは先述した危険度(100倍)からすると当然と思えるが、見方を変えて歩行者視点・運転者視点を均等に冷静に深考してみれば「歩行者を守る」という目的を達成する為にはもっと歩行者側への働きかけが必要ではないかと思える。 防衛運転ならぬ防衛歩行の奨励だ。即ち、運転者は歩行者に100倍心を配ると同時に、歩行者もまた自動車に100倍用心する・・・。 あらゆる交通手段、それは自転車からバイク、クルマ、電車にいたるまでそれがとても危険なものであるという認識を国民全員が共有するという考え方である。 それには道路のデザインや運転者教育と同時に歩行者教育の義務化、徹底化なども考慮したい。 高齢者のみならず、すべての人々についての免許交付の厳正化など・・・。 自動車側の視点ばかりでない歩行者側へのさまざまな啓蒙、教育というのが必要と思えるがそれがなされているようなメディアの報道は殆んどない。 運転手が悪い・・・の一辺倒では何の進歩もないのではないか。 再三述べるが歩行者はもっと車に用心して歩くべきだ。 江戸時代とか明治・大正時代ではないのだ。 殆んどの人がクルマを持ち、運転し、日常的に使用している時代に古い時代の歩行者感覚で街路を散歩やジョギングでもされたらお互いにタマッたもんじゃない・・・と思えるがいかがであろうか。 高齢者、特に認知症の人に免許証を交付するというのは問題と思えるが、こちら田舎の僻地に行くと山から山への移動は数10キロに及び、それも深い谷を渡り徒歩であると数時間を要するような山間部で、ついでに住んでいるのは80才以上の高齢者ばかりという地域ではクルマがないと生活ができない・・・なんていう状態で、ある時対応としてそこの村長さんの話であったがその地域内だけで使用できる免許というものを発行する特例をつくったらどうだ…とかいう議論もあったようだ。 高齢者イコール即危険運転者と捉えられない為に一筆してみた。 物事は多面的、根本的、長期的に考えないとイケナイ。 今は何でも一面的、短絡的、皮相的で何かしら薄っぺらい議論が多い・・・ような気がする。 ありがとうございました M田朋久 |