コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 吝嗇2016.10.20

世の中には「気前の良い人」がおられて、見ていて誠に清々しく気持ち良い。
一方お金をいっぱい持っていてケチ(吝嗇)な人もいて結構見苦しい。

今はデフレ経済であるので、どちらかというと益々不景気な話であるが現金の方がモノやサービスよりも価値が高く思えるようで、節約・倹約が推奨されているようである。
それ(節約)を工夫実践させようとした経済評論家もテレビに出演したりしていてこれまた景気沈降を下支えしているようで社会全体からみると残念なことに思える。

気前の良さの大筆頭は先年亡くなったコメディアンの藤山寛美という人物らしい。
数万円から数100万円単位で現金や物品を気前よく人に分け与えていたらしい。
その厳しい稽古とは裏腹にその世界(花柳界?)とか夜遊びの世界でも激しい浮名を流して遊びまくったらしい。
売れっ子芸人で収入が多かったらしいが、少なくとも私腹を肥やすという性向の全くない人だったに違いないが、家族や身内からしたら吝嗇はともかくもう少し倹約・節約をしてくれたらなあーとも思われていたに違いない。
とにかく額が破格であったらしいがその数々のエピソードの詳細については割愛する。

一般的に商売人は倹約家である。
中には吝嗇のレベルまで行っている人も多い。
周囲から見て醜い・・・という印象を与える吝嗇家も少なくない。

有名な超お金持ちと言われる人、例えばビル・ゲイツなどは今年も世界一の長者になったけれども自分のことについてはハッキリした倹約家として知られているが吝嗇ではない。
たとえば有名なところではAIDS撲滅の為の寄付などは国家予算レベルの拠出をしているらしく、世のため人の為に私財を投じて頑張っておられるので決してケチではないと思える。
日本の長者と言えばソフトバンクの孫正義が有名であるがケチという話はあまり聞いたことがない。

さて結論的にこの吝嗇家と倹約家の差は何であるかと考えた時に、筆者の考えであるがこれはもう目的があるかないかではないかと思える。
目的と言っても世の為人の為、他者の為、即ち理想の為であるならその節倹も吝嗇とは呼ばないであろう。
自分のことにはケチケチしていて他人の為ならドーンと・・・みたいな感じの人である。

自分の子供を学校にやっているので倹約しているというのもどちらかというと吝嗇というより節倹であろうか。

話は飛ぶが当然ながらどんな金持ちでもケチな男は女性にはモテない。
割り勘主義なんていうのも論外である。
いっぱい稼いでいっぱい配るというのが男の花道、カッコイイ男の特徴である。
結果貯金ゼロなんて感じの男もカッコイイと言えばカッコイイ。
イザという時に「出せない」ので結果的にカッコ悪くなるのであるがそれはそれで潔くて良い・・・と思える。


理想(世の為人の為)を忘れた節倹は吝嗇と同じである。
このことを述べた文章があるので少し紹介したい。

「吝嗇の人は必ず不仁と知るべし」
−岡白駒、本与録−

「士庶人のせばき家の内とても倹約を守れば親類友たちをたすけやすく、子孫に芸術教えるもまどしからず。但し節約と吝嗇とまぎるるものなり、この間をよくよくわきまえふべし。吝嗇なれば上たる人には諸人なつかず、下なるものも親類朋友むつまじからずして人倫の義理をかく事のみなり」
−安藤為章、年山紀聞−

「口には倹を唱へて心には吝嗇貪欲を逞しく拮克を以て下を苦しむるは悪なり」
−中井履軒−

コムヅカシイ文章で恐縮であるが一読吟味深考していただければ幸いである。
主に米国で著しい現代の超格差社会、「政治献金と富裕層」の関係性によって生じているらしいが、あらためて「悪」と認識して俯瞰してみるのも一法かも知れない。富の再分配については「歪」、というより「醜」とか「恥」とかの文字が思い浮かんでしまうのは筆者だけであろうか。少なくとも「美」しい現象とは言えまい。

自戒も込めて一筆してみた。

ありがとうございました
M田朋久



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