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■ 読書 | 2007. 8. 1 |
「趣味は読書です。」なんて言ったら笑われるかもしれないけれど、 現在の私にとって、本を読むこととは、食事をすることよりも、より規則的で、日常的習慣。 まるで息を吸うように種々雑多な本を読む。 日本人の殆どは、文字を読めるのに本を読まない人が多くいるというのは本当であろうか。 人生は短い。 過去の賢人たちの遺した偉大な書物や最新のトレンドに即した新刊本で 短い人生を長く生きることも、多様に生きることもできるのではないか? 人生の旅路も良質な地図があったほうがより間違いが少ないであろう。 より慎重に生きることも大胆に生きることもできる。 人生の指針となる本は、いわば人生の闇を照らす前照灯のようなものだ。 何も持たず、暗闇をそれこそ闇雲に歩き続けるより余程マシであろう。 気の狂うような恋の熱情も、適度に冷やし逆に冷え冷えとした孤独のうら淋しさも 一冊の本は暖かく癒やしてくれる。 多くの歴史書は、おおびただしい数の死と、 厳しい困難に打ち勝って来た勇気ある人々の記録でもある。 小さな私達の日常ですら、よく考えてみれば大きな歴史の一部分ではあるのだ。 寝床には、最低でも4〜5冊は、本を枕元に重ねる。 だからベッドより畳にふとんは便利だ。 ある程度無限に近く本を置けるスペースを確保できる。 最近は、こうして文章を作るのも大きな楽しみだ。 自分の書いたモノを読むことがまた別の喜びを生み出すことを改めて感得した。 そのウチに、「人類に書き遺しておきたい」と思うような創造的で、新しい知識を提供できるようになるかも知れない。 話は飛躍するが、人類の哲学的英知も科学も紀元前のBC200〜400年のギリシャの時代に集中し そののちは、紀元後1500年以降にしか生まれていないのは不思議な気がする。 「知の暗黒時代」というのがあるのかも知れない。 私達の人生のように。私には、確実にそれはあった。 それはまた「狂人の時代」とも呼べる程恥の多いものであった。全く読書をしない時代でもあった。 精神的な「時効」が来たら、その時代を心ゆくまで語れるかも知れない。 ありがとうございました。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |