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■ 天国と地獄 | 2016. 9. 7 |
昭和38年に公開された巨匠・黒澤明監督の映画のタイトルだ。 筆者の中ではこの天国と地獄が黒澤映画では最高傑作である。 主演は三船敏郎、仲代達也、山崎努。 そうそうたるキャスティングだ。 物語は、身代金目的の誘拐事件。山崎勉演じる若くて貧しい医者が誘拐犯で、奸智にたけたこの犯人はまんまと身代金をせしめるが、誘拐した子供をきちんと返す。ところが共犯者を二人も殺していて、そこを警察に押さえられるというものである。 物語の前半は舞台で演じられる重厚な心理劇、後半部分はちょっとしたアクション映画、スリルに満ちたサスペンス仕立てのヒューマンドラマになっている この年には有名な「吉展ちゃん誘拐事件」が起こっている。その他所謂、模倣犯が増えて社会問題になったらしい。 つい最近映画化された横山秀夫の「64」という小説も誘拐事件でその誘拐の方法がそっくりである。ただのゲームなら模倣してみたくなるほど見事な「やり方」なのだ。 筆者がこの作品に魅かれるのはその映像美である。 流石に画家志望でもあったと聞く黒澤監督の作品らしく、各場面場面の映像として完璧とも言える絵画的配置、構成美、バランス美において細心の工夫、配慮がなされていて何度観ても飽きない。 その上音楽も素晴らしい。 映画音楽が特別に誂えられたワケではないけれど、その場面や状況に応じてドキッとするほど効果的な“音”が散りばめられている。 とにかく素晴らしい作品である。 物語の主題は天国と地獄。 裕福な会社重役の高台にあるクーラー付きの豪邸(天国)と、うだるような暑さの下界、貧民街にある貧しい医者のボロアパート(地獄)との対比が当時の汚染された川と同時に映し出されると、確かに天国と地獄を思わせる設定になっている。 当時実在したかどうか不明であるが、横浜の繁華街の裏路地にある麻薬の巣窟のような地獄絵図も映し出されたりしてタイトルの意味が合点される物語、映像になっている。 おどろおどろしい、おぞましい壮絶な貧しさの果ての麻薬中毒者のドヤ街の情景と上品で清潔で瀟洒な豪邸の暮らしの対比。 今よりも小さいと考えられる貧富の格差も、当時の貧しさの程度が現代の最貧国レベルであるために、たとえばパキスタンとかネパールとかバングラデシュとかの貧困レベルとダブって、その激しい落差において現代の格差よりも下方にシフトされた感じで、貧しさをより酷く描きやすい時代設定なのであろう。 自分にもどこがこの作品の魅力か分からないが、どうしても惹きつけられてしまう。夏には特に・・・。 夏の暑さの表現が素晴らしいのであるが実のところ真冬に撮影されてたらしい・・・。 監督曰く、真冬に真夏の演技をするので、より「工夫する」必要があるとのことであったそうな。 黒澤明の映画製作の特徴はその完璧主義的映像へのこだわり、台詞まわし、とにかく総合芸術としての作品へのこだわりがその微細にわたる「工夫」の集積によって「つくられている」即ち現実をより現実に魅せる為にそれを「つくる」という作業を随所に行っているのが面白い。 たとえば夜景。 「天国」の豪邸から見下ろす夜影は完璧にミニチュアセットで「つくられた」もので、道路を流れる自動車の列の光、電車の運行の光の動きは綿密な設営のもとで制作されたものらしい。 同監督の椿三十郎の「椿」はやはり黒く塗られたものらしく、白黒映画でより椿らしく見せるための創作された「椿の花」であったことは有名である。 とにかく映像をつくること、映画をつくることにこだわるとどうしてもこんな「工夫」を無限にしていくのであろうが、これこそが映画創りの醍醐味であるに違いない。 そうして出来上がった作品はまるで世界唯一の絵画のように美しい。 筆者が個人的に好きなシーンはラジオ放送をBGMに犯人の山崎努が共犯者の自宅をこっそり訪れるシーンで、なにかしら花畑からサングラスを反射光に輝かせながらヌーッと顔を出す場面である。 これは逮捕される直前の場面でマンマと警察の罠にハマるところである。 ラジオの放送の音楽が汚川の川端を行く犯人・山崎努の姿とうまくマッチしていてこの時にモーツァルトが流れる。 これも好きなシーンだ。 この作品における山崎努の怪演はその後の活躍の端緒となるもので、以来名優としての道を歩むことになる。 この映画は、天国にいる三船敏郎演じる重役、地獄にいる誘拐犯に医者山崎勉という構図だけでなく、重役と犯人が個人として地獄を見るという設定も面白い。 世界も国家も社会も会社も個人も天国に居続けられるわけではなく、地獄に落ち続けるわけでもないと思うのだけれでも、傾向としてどちらかに偏るということはあるようではある。 「立って半畳、寝て一畳」という言葉もある。それがどんな過酷なものであれ、、こと貧しさについてのみに限れば、自分の境遇を甘んじて引き受ける・・・という覚悟があれば・・・一定の活路や満足や感謝という境地も心がけ次第では得られるかもしれないと思える。あまりにも楽観的過ぎる考えであろうか・・・? それにしてもこの映画のように昭和38年当時、絶望的に「貧しい医者」というものが、迫真のリアリティを持って存在していたことが驚きである。その後昭和50年代半ばまでその待遇についてはどんどん改善されて行くという現実があるからである。もしかして物語の設定時代が終戦直後であったならば医者ではありうるけれども、裕福な会社重役というのも無理があるように思える。どうでもいいことですけど・・・何しろ映画なんだから。 追記 この作品を見直してみてわかったことがある。筆者は横浜生まれ。戦後まもない昭和28年冬の誕生。当時のいかにも都会の荒廃して貧民街みたいな裏通りと高級車に象徴される富裕層の生活ぶりの混在とかが何となく懐かしいのであろう。父は横浜の民間病院の勤務医。雪の降り込みが積もってしまうほどのあばら家住まい、ロマンティックな山下公園等々幼い頃の脳に焼き付かれた心地よい(?)心理的感触を映像と音と物語設定から感じとっているのかも知れない。 父はよく横浜時代を振り返って「自動車」が羨ましかったと言っていた。当時はやはりというべきかステータスの一番は家と自動車だったし、それがうまく表現されている作品ではある。クルマがいっぱい出てくるのも個人的にすごく好感な映画である。 追記2 佐木隆三の「殺人百科」というドキュメント小説シリーズに歯科医の誘拐殺人を扱った短編(実話)があるが、逃走劇が面白い。丸坊主になって肉体労働者として寮生活をしていたところを逮捕される場面。克明に言い訳じみた日記をつけていて最後まで「自分は犯人ではない」という証拠的記録をつけていた。どういう気持ちなのか今でも不明である。この個人もある意味、地獄を見たわけである。 ありがとうございました M田朋久 |