コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 完全主義 2016. 8.23

いつも心の中に何かしら物足りなさ、忘れモノをしているような感じ、欠落感、不全感みたいなものがあって自分の心を苦しめていたので、それはいったい何なんだろうと自己分析したところ「完全への捉われ、執われ」ではないかと気がついた。

エニアグラムという学問があって、日本での第一人者は鈴木秀子氏と思えるが何冊か成書も出ているので参考にされたらと思うけれど、筆者の場合Type@とTypeAの中間で表面的にはTypeA、内面的、潜在意識、心の中核にはType@であろうと考えている。

Type@のとらわれは完全、完璧へのそれで、どうしても不完全な自分を「許せていない」のにここ最近あらためて気づいた。
これは個人的には青天の霹靂であって、色々な心の問題が紐解けた感触があって随分と楽になった。
即ち「不完全な自分を許そう」、「不完全さを受容しよう」と心に決めたのである。

その結果、心にどちらかというと無鉄砲に卒然と湧いてくる憂鬱の蔭を意識的に払拭できるような気がしている。
「不完全で良いよ」と自らに呼びかけるだけなのに・・・である。
これはあらゆる事柄に付随した心の中の感触で周囲の人々には殆ど全く理解できまいと思える。
多分「そんな風に見えない」からである。

デスクや部屋はとっ散らかっているし、行動言動も結構「いい加減」だからである。
或る時から意識して「いい加減」でいることを自らに課していたという一面もあって、この「完全への捉われ」から表面的に逃れた・・・と思っていたけれど、心の底に明らかに存することはハッキリと自覚したので、62才にして或る種の解放感、爽快感があって心が随分と軽くなった。

何事につけ批判的、批評的になる傾向か自分に対して向かう時に最も心の苦しみが増すということに気づいたことは素晴らしい僥倖と思える。
すべての事がそのままで良い、ありのままで良い・・・という感覚は個人的心理体験では素晴らしいものである。
「自分を許す」ということの大切さをあらためて感じさせる心のめざめであった。

このことに気づいたのはオートバイに乗っていて、夕暮れの街路をゆっくりと流していて、国道の交差点で信号待ちをしている時である。

車の流れや人々の動きを眺めながら心の中に小さく湧き起こったこの「考え」が日を追うごとに強く意識されますます心を軽くする。
モチロン油断をしているとすぐに完全完璧への心の志向性が湧いているのであるけれど、イヤイヤ待て待て、この心の癖は一朝一夕には取れてしまわないと肚をくくって毎日取り払うようにしていると日々の生活がさらに彩りを増してくる。
余計な鬱屈が起こりにくくなったのを感じる。
エニアグラムを勉強してみるとType@からタイプHまでそれぞれのこだわり、捉われがあるようでお互いに違うタイプだとそのこだわりが理解できない。
「なんでそんなことにこだわるの?」みたいな・・・。

これを心理治療に応用するとかなり有益なのであるけれど、一般的にそのこだわりを当の本人は全く当たり前、当然と考えておられるようで、あらためて自覚される方はそれほど多くはない。
それが問題であると認識すらなさらないのである。
それこそが問題の本質なのであるが「意識して取り除く」ことをしなければイケナイものの最大がこの「こだわり」というものである上に、そのこだわりについての自覚、もっと言えば病識を持ってもらうのにそれなりに相当の工夫がいるのでますますもってヤヤコシイ。

或る程度心理を勉強しているつもりであった筆者ですらこの程度であるので偉そうなことは言えないが、ひとつのヒントとしてやはり「心の苦しみ」にあらためて直面し、或る程度の知識を持って分析してみるというアイデアは提案してみたい。

或る個人の「心の苦しみ」はたいてい何らかのこだわり、とらわれを示してくれるものなのだ。

ありがとうございました
M田朋久



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