コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ コンプレックス 2016. 8. 9

ご存知の方も多いかと思うが小学校の算数の用語で仮分数という言葉がある。
頭が大きい、顔がデカイことをからかわれて使われる言葉でもある。
筆者が最初に憶えたコンプレックスである。
確かに髪の毛が多く頭が大きいので帽子が被れない、似合わない・・・ということに強烈なコンプレックスを感じた。当時の少年は野球の帽子を被るのがひとつのトレンドであり、常識であったから、結構悩んだ。
そのうえ野球も下手だった。
野球と言っても実のところソフトボールのことであるが、少年にとったらどちらも同じだ。

さらに髪の毛のコンプレックスもあった。
テレビや雑誌に出てくる少年のさらさらとした直毛に憧れて自分の縮れた髪、ガサガサしてウェーブのかかった髪がイヤであった。
何とか直毛のように見せかけようとしたが当然ながら無理だった。
ちなみに父親の髪は直毛で太く、硬く、つややかで美しかった。

成績がパッとしなかったのもコンプレックスだった。
何となく落ち着き払った秀才たちのふるまいを見ると口惜しくてタマらなかったが勉強はしなかった。
算数が苦手でソロバンの塾に通わされたがこれがてんでダメで、父親からは「白痴」呼ばわりされた。
今は禁止用語になっているバカ呼ばわりを毎日されて両親の夫婦喧嘩のネタにまでされて子供ながら結構心を痛めた。
陸軍士官学校という結構秀でた学歴を持っていた父にすると息子の頭が悪いのはお前(母)のせいだと言うワケである。

中学に入っても自分はバカで頭が悪いという思い込みがあるから一生懸命勉強をした。
成績が少しくらい上がっても父親に言わせると1番でないとバカのままで、全然ほめてもらえなかった。であるので結構自分なりに頑張ったのだけれども心の中ではズ〜っとバカのままだった。

いくら頑張ってもバカ呼ばわりされるのには慣れたけども思春期の中学時代は身長に悩んだ先輩から体格がしっかりしているから背が伸びないと言い切られてすごく悩んだ。
これは中学2年の時に170cmをクリアしたので、心からホットしたけれど、当時はバスケットをしていたので180cmとか185cmに憧れていたので、これもまたコンプレックスのまま残った。

体型も悩みの種だった。
胴長短足だというワケである。
全くそのとおりで石原裕次郎とか高倉健のように足長族になりたいと心から願ったけれども当然ながらこれもかなわなかった。

物凄く内気で女の子とも話ができず(男子校のせいか・・・)、全くモテなかったのもコンプレックスだ。
運動ができて成績がまあまあでもそんなことを売りにするワケにもいかず中学高校と殆ど全く女の子にモテなかった。

こんなコンプレックスのカタマリであるからひたすら中高時代はバスケと勉強にいそしんだ。
後から考えるとこれは良いことであった。
浪人中も言わずもがな・・・。
少年ながら人生の落ちこぼれ組としての明瞭な自覚があり、何もかも投げやりになってタバコを60本とか80本とか喫ってシンナーまでやったりした。
これでアタマが結構やられたようだ。

大学入学を何とか果たしたものの勉強についていけない。
頭脳が殆どマトモに動かない。
勉強方法すら分からない。
大学1年の夏休みでは「お宅の息子さんはビリから3番であるので確実に留年します」と父親が学校から言われた・・・と告げられて発奮して勉強をしたけれどもほとんど成果が上がらず成績は下位グループの中間位を滞っていた。
けれど奇跡的に進級をして何とか卒業までできたのは有難いことに頭も良く成績の良い友人たちのお陰だ。
バスケットボールも中学から大学までとりあえずレギュラーだったけれども、腕力・体力・バネがあったので何とかもっていたが基本的にヘタクソである。

基本技術のランニングシュートができず、夜中に寮を抜け出して一人で毎晩シュートの練習をした。
おかげでシュートだけは上手になったが後の能力は今思えば全くダメ。
唯一のアイデンティティーが学校の成績とバスケだけなのに、それさえも心のよりどころになるはずだったのにこの体たらく。
ついで「文章を書く」こと、つまり作文が苦手で校内で一人だけ作文提出ができず担任からビンタをくらった。
・・・それでも書けなかった。

大学卒業すると今度は国立大コンプレックス。
私立の医学部を出た連中の者にはこれ必ずあると思える。
何しろ入学時の偏差値の国立上位は揺るぎがない・・・。
これは克服できた。
国立出の連中に何人か接してみて何となくバカだなあと思えることが多いからである。
これは推測であるが入学時点で国立大学は優れていてもその後の教育の内容については私立の方が優っているのではないかと自分勝手に得心したからだと思える。

即ち「素材」は国立が良くとも「料理」は私立が良い・・・という理屈である。
東大理V(医学部)より慶応医学部の方が人気があったりするのもこのあたりのセンスによると思える。

有名なドクター、たとえば天皇陛下の執刀医が浪人経験ありの日大卒だったり、マスコミに出る著名な先生が結構私立出だったりするのでこれは何となく解決している。

後、今の今までコンプレックスはやはり髪の毛だ。
薄毛、白髪などそれと自らの性的能力についての自信の無さだ。
これは殆んどの男性の持っているコンプレックスの最大最多なるものと思えるが今は薬物、ドーピングが効くこともあるのでこれも何とか平均レベルかなあなどと自分を無理やり納得させている。

こうして考えると自分が何もかもコンプレックスだらけであることに気づかされる。
人の話では、医者になった人間は元々コンプレックスが強いそうである。確かに自分も含め見るからに変なヒトが多い。

人間は自然にしていてネガティブなコトに意識が向きがちだそうで、ビジネスの場面では自己否定的でマゾヒスティックに自分を鍛える、苛める方が良いらしく或る意味まっとうでクールなコンプレックスというものは人間を成長させる原動力になるのかも知れない。

先日8月7日にメジャーリーグ3000本安打を達成したイチローですら発言の端々に強烈な自信というより反骨心、口惜しさ、忍耐心をうかがわせるのでいつも深く共感させられる。
究極の努力型の人間にしか分からない苦悩みたいなものに・・・。

正直なところ殆ど何の取り柄もない愚鈍な人間と自分を自己評価しているので何事についても努力を怠らないようにしている。特に面白い話ができるわけでもなく、何の特技もないツマラナイ男。
こうして考えるとコンプレックスというものも何らかの価値があるように思える。
今は胴長短足も白髪も薄毛も肉体的な生来的なコンプレックスは何となく克服してきたつもりであるが、これからは老いというコンプレックスが待っている。
これとどう付き合うかが今後のテーマであろうか。

奇しくも8月8日に天皇陛下が「生前退位」について「お気持ち」を述べておられたが、これも突き詰めれば御自身の老いや衰えと向き合い国事・国民を慮って真剣にお考えになられてのこととは思うが筆者の感想では国事や国民のことを思われるお気持ちは大切と思うけれども、ただ「生きておられるだけで」国民は心から安心するのであるからそんなに拘らなくても良いのではないかという風に思っている。
即ち老いて朽ちていかれても天皇は天皇のままに生涯を全うされたらと個人的には思う。
誠に無礼千万、差し出がましさの極みと思うけれども、皇室や天皇を心から愛し敬う一国民としての偽らざる感想である。

こうして書き連ねてみると、「な〜んだ、そんなことくらい」みたいな程度でるから、恥ずかしいけれど、その時点では本人からすると結構な重みをもったものである。世の中にはもっと強烈な劣等意識を持たざるを得ない状況にある人々がゴマンとおられて、どちらかというとそちらの方が、圧倒的に多いと思える。
「ありのままの自分をありのままに受け入れる」・・しかないのだ・・それこそが自分に対するまっとうで正直で親切な処し方と、あらためて思える。

ありがとうございました
M田朋久



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