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■ リンゴの思い出 | 2007. 7.26 |
前回の「市場原理と医療」オモシロクなかったですネ。ヤッパリ。 “OPINION”はやめましょう。特に政治的な書き物は避けたい。 政治には理想と現実の葛藤はつきものだ。色々あるんでしょう。 【1】ユーモア 【2】癒やし(ホントは癒しですけど当医院では敢えて「や」を入れています。) 【3】役に立つ情報提供 この3つのポイントをおさえて書きたいと思います。 ※注意:今回は食事をしながら読まないようにお願いします。 中学時代の私のアダ名は「コエ」というものであった。「声」ではなく「肥え溜め」の「肥え」だ。 この幾分、有難くない呼称を同級生達から賜ったときは、特に不快でも何でも無かったけれど どうして、そんなに面白オカシク、私をそう呼ぶのか当時は理解できなかった。 バスでの遠足で歌が始まり、ガイドさんが「アナタは声が良いですネェ」などと言おうものなら みんなで「コッエ」「コエ」「コエ」の大合唱だ。ワケワカラン。 このアダ名のユカリは校長室の前庭に、自分で丸かじりしたリンゴの芯を投げ込んだのを 当時メズラシイ、アメリカ人の若い30代の校長にたまたま見咎められて得た、 約1ヶ月あまりの「罰作業」に由来している。 その日の夕方、用務員に会うように言われ、指示された作業は「校庭の西の端に位置する『外便所』の糞尿を、木製の杓子ですくって、自分で掘った穴に入れる」という極めて単純なモノだった。 軍隊での新兵いじめみたいな、こんな罰をよく思いつくものだとあの米国人校長には、今さらながら感心する。 授業を終え、毎日夕方から約1時間半、私はモクモクとこの罰作業に取り組んだ。 部活で、ランニングしながら運動部の連中は、新しい「肥え溜め」を一心に掘っている私に 「コエ」「コエ」「コエ」と声を発しながら、笑いながら脇を通り過ぎる。いい気なものだ。 2mばかり掘った四角の穴に、実際、糞尿をすくって入れる作業は結構シンドイ。永遠につづくかと思うほど、根気の要る作業だった。 この事態はしかし、私にとっては少しも愉快な経験ではなかったけれど、 ほとんど彩りのない殺風景な男子校の生徒達を、いくらかシアワセな気分にさせ、楽しませていたことは事実だったようだ。 そこで私は学習した。 「他人の不幸は、自分の幸福」と。 密閉されたある集団に限らす、TVなどで見るニュースやバラエティー番組で こういう人間心理の一側面を観察できる。 ありがとうございました。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |