コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 夏休み 2016. 7.29

少年時代の夏休み、それも小学校時代は毎日のように川に泳ぎに行った。
3っつ下の弟を連れて・・・。

我が町人吉には日本三急流・球磨川が東西に貫くように流れていて旅館街が軒を連ねる川の北側と対面の南側には人吉城址の石垣と・・・で割と良く出来た配置になっていて、さらに急流ながら上流から鉄道の橋脚(通称・鉄橋)の下流に順番に「水の手橋」「大橋」「人吉橋」と三本の橋が南北に渡され、特に鉄橋から「水の手橋」の間は流れが緩く少し深みもあって子供たちの絶好の泳ぎ場であった。

当時は北側、即ち旅館側にボート小屋と短い距離ながらパリのセーヌ川のように川に沿って遊歩道まであり誠に情趣豊かな風景を楽しめた。

昔の日本映画によくある上野不忍池の優雅なボート遊びみたいな情景と、そこに球磨川の清流と子供たちの集団が泳いでいるといった郷愁的なイメージを抱いてもらったらよろしいかと思う。
そこで少年時代の筆者はお城側の川淵(木山の淵と呼んでいた)に降り立ちそこから主に深みの方にしずしずと泳ぎ出るといった按配である。

そこは子供にしては不気味に深く、暗く淀んでお城側の雑木が日陰を作りこんなところに・・・みたいな場所に古びた鉄製の飛び込み台まであったりして誰がつくったんかい・・・と思うくらいそれもまた薄気味悪かった(それが良かったのかも知れない)けれども毎日飽きもせずせっせと通い詰めたものだ。

実際に蛇がスルスルと川面を滑ってくるのと出くわしたこともあるし9月になり夏休みが終わって夕闇が濃く唇の色も紫色になって全身がガタガタ震えるような状態でもしつこく、くどくどしく川泳ぎには執着した。
スパルタ教育の信奉者である我が厳父もこの長男息子の行動には寛容であったようで、暗にそれらの行動を奨励して喜んでいるような風にも思えた。

子供ながら精一杯のストレス解消だったのかも知れない。
小学校時代の思い出というとこの夏休みの川泳ぎと、家族で行った海水浴と、正月恒例のクルマで行く温泉旅行くらいである。
後は殆んど記憶にない。
余程楽しかったのであろう。
一方学校のある春・秋・冬はそれこそ地獄のような日々であった。
当時、昭和30年代はみんな子供の境遇というのはそういうものだったのかも知れない。うるさい親と厳しい学校と。

父は三丁目の夕日に出てくる鈴木オートの社長(堤真一演じる)にソックリである。
マジメで厳しくて頑固で短気で・・・。其のうえ酒飲みで。

中高時代の夏休みの記憶は何故か全くない。不思議だ。

大学時代はクルマに勉強道具を山のように積み込んで、毎日遊びに出掛け、家には殆ど寄り付かなかったが、親は何も言わなかった。
早朝に帰り朝飯をそそくさとかきこむと、さっと出ていく・・・みたいな行動で、「家に寄り付かない」という点では夏休みに3日帰るか全く家に帰って来ない医学生の息子とそっくりである。

ありがとうございました
M田朋久



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