コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 片付け 2016. 7.18

筆者はこれが苦手である。
殆んどできないと言っても良い。
スタッフを含め周囲の人がいてくれるので何とか生活はできている。
全くもって有り難いことである。

女流作家・向田邦子についてのエッセイを読んでいたら、この「後片付けの不得意さ」についての内容があって、飛行機嫌いの彼女が机の中を整理しないでいて自分が事故で死んだりして中を見られたら嫌だなと思いつつ片付けをしたら、それは自分の死の準備をしているようで不吉なのでできない・・・みたいなことが書いてあった。

奇しくも「恐れていることは実現しやすい」の法則どおり向田邦子氏は外国(台湾)での飛行機事故で亡くなってしまう。
何と驚くべきことに死出の旅となったその取材旅行の前に机の中はキレイに片づけられていたそうである。

こんな話は本や人づての話によく出てくるので何かしら遺言めいた言葉とか行動とかを避けると同時にこの後片付け・・・というか身辺の整理とかは意識してしないようにしている。
ということで益々ゴミ屋敷のようになっている自分の部屋。
書類や雑誌、本などとにかく紙類を中心に立錐の余地もない。
歩くのもままならない程散らかっていて、この状態はかれこれ15年くらいつづいていてこのことは自覚的には筆者の「恥部、暗部」として感覚されているけれども先述した理由により未解決のままである。

秘密が多いという性格とあいまって心の中の乱雑さを表現しているようで益々恥ずかしいが、時々大作家、大研究者のオフィスや書斎が筆者のソレと変わらぬかそれ以上の散らかりようを見ていると心から安心する。

以前NHKの特番で高名な小児心臓外科医が出演されていたが、この方は大学の教授でその教授室たるや筆者の比ではないほどの荒れ方で、ロッカーからネクタイが蛇のようにハミ出ていたりデスクには書籍や書類が山積みされていたりとその混乱・混迷状態には心から共感したものであるがお顔の表情などいかにも優し気で立派な面差しであったので益々安心させられた。

この先生は筆者と同い年であったのその親近感は半端ではない。

「同じ人種がいる」という安心感。

イメージ的には村上春樹や東野圭吾は「片付いている」という印象。
意外なことに太宰治は片付いていて同年の松本清張は乱雑そうに思える。
あくまで想像であるが。

ちなみに読書家の部屋は普通片付いてはいない。
雑多な本が適当に積み上げられていてとっちらかっている・・・というのが多い。
本が書棚に整然と並んでいるのは只の飾りで「読んでいない」可能性が高い。

日本医師会の重鎮、喧嘩太郎こと武見太郎先生は筆者の尊敬する人物の一人であるが、この方のオフィスもデスクも本と書類の山。
そこに埋もれるようにしてインタビューに答えられていたが物書きと学者肌の人間とかに片付けの才能が薄いかそれに興味がない傾向があるように思える。

こんな風に片付けのできない言い訳が山のように頭から次々と噴出しているが、今手元にある本「おかげさまで生きる」も東大医学部の救急医学教授という立派な肩書の矢作直樹先生のプロフィール写真が表紙になっていて、その背景にどこかで見たような書類や書籍の乱積を確認して内容は殆んど読まずにデスクに置いて自らの整理下手、片付け下手の精神安定剤に使っている。

ありがとうございました
M田朋久



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