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■ 川の流れのように | 2016. 6.28 |
6月24日は美空ひばりの命日だ。 ラストステージは平成元年2月7日。 小倉だったとのことだ。 どこかしらひばりさんらしい。 ご存知のように「川の流れ・・・」は美空ひばりの持ち歌でも遺曲と呼べるくらい有名で愛唱されている歌であるが意外なことに実際にステージで歌ったのはわずか数回であるらしい。 昭和12年生まれ。 平成元年の死までわずか52年の人生。 歌手としては43年のキャリアを持つ昭和の「女王」美空ひばりの人生もそれはそれでかなり苛酷なもののようである。 家族の絆と確執。 日本最大の広域暴力団・山口組の伝説の親分・田岡一雄との親交。 当時大スターであった小林旭との結婚と破局。 弟のスキャンダルと早逝。 硫酸を顔にかけられたりともうとにかく私生活においてはその世間的人気と裏腹に悲惨とか壮絶というほかない。 その壮絶な人生の幕引きもまた激烈であったことが先日のNHKのドキュメント「アナザーストーリー」で明かされた。 アルコール過飲によると思われる肝硬変と大腿骨頭壊死。 歩くのもやっとという状態のなか東京ドームのこけら落としで病気からの復活を世間に大きく知らしめた39曲もの熱唱。 この時も決して万全ではなく息も絶え絶えの生命がけのステージ。 それでも人々はひばりの復活を信じた。 そうして続く全国ツアー。 病をおして強行された活動もその病ゆえに途絶えさせられた。 或る意味悲劇的人生、別の見方をすれば歌手冥利に尽きる大往生だったかも知れない。 ♪知らず知らず・・・歩いて来たこの道・・・また逢える・・・人生・・・♪ 歌詞を読み込むとまさに遺曲だ。 ひばり本人も「これって(私が)死んでいく歌みたいネ・・・」。 そうして東京での告別式。 10万人の弔問客の涙の大合唱が自然に起こったらしい。 まさに女王の最後にふさわしい葬送の歌であったのだ。 奇しくも昭和天皇の崩御の年、昭和64年(平成元年)6月の死。 幕引きもまた昭和という激動の皇紀の終わりを告げるように、ドラマチックであった。 人生を歌って名曲でありながらこれほど死の匂いを感じさせるものはない。 不吉とまでは言わないが美空ひばりの名曲「悲しい酒」と同じ「悲しみ」の香りのする歌である。 ・・・だから聴くのは良いけれど歌いたくない名曲である。 人生は確かに「川の流れのようだ」。 また川の流れのように素直に生きた方が運も良いらしい。 幼少期よりその天才的歌唱力によって周囲から、世間から流されつづけた美空ひばりの人生そのものの歌のように思える。 大ヒット名曲が表題の歌である。 そんなものなのだ、多分人生とは・・・。 ありがとうございました M田朋久 追記 亡父の命日も6月で晦日の30日である。 繰り返しになるが6月という月はどこかしらその雨の月と同じく深い悲しみに満ちている・・・と個人的には思える。 |