コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 海外旅行 2016. 6.25

友人の手相見に「君は海外旅行はしないネ」と言われて「そんなもんかあ〜、別に興味ないし〜」とか思って安心していたら青年会議所という団体に誘われて35才の時に入会したところ、ひょんなことから日本青年会議所に出向になり「国境なき奉仕団」委員会の副委員長の身分を得て当時紛争地帯だったアフリカのソマリアという恐ろしい国に出かけることになった。

初めての海外旅行が日本を遠く離れた危険地帯というワケである。
ヤレヤレ。
立場身分上断れないし出発までズルズルと日が近づき、とにかく憂鬱でしようがない。

地元の青年会議所メンバーから「歓送会」ならぬ何と「送別会」まで開いてもらって選別の1万円までもらったものだからとうとう引くに引けない。

成田空港発エールフランスの機上にあっても心は不安でいっぱい。
パリを経由し中東アラビア半島のジェッダという空港では8時間あまり機内で待った。
暑さの為にフランス人の客室乗務員の女性がブラウスの前ボタンを3つくらい外してブラジャーが見えていたのに機内を忙しく動き回っている姿ばかり目で追ってそれだけを楽しみに狭い密室空間をやり過ごした。
元々閉所恐怖症の気があった筆者がよく耐えられたと思うが恐らく精神安定剤かなんかを服んでいたのであろう。
モチロン仲間が誰だったか、何人いたかも記憶にない。
多分全く関心がなかったのだ。

ソマリアは怖くて暑かった。
実際に行ったのは北ソマリアで、高原になっていてそれほど暑くはない。
しかし空港のあるハルゲイサはまさに灼熱地獄。
銃弾の痕の生々しい空港ビルをやはり銃痕だらけのミグ戦闘機2機が滑走路脇に置かれていた。
とにかく早く帰りたくてジリジリと小さな民間航空会社のプロペラ機の到着を待っていると、こんなところにこんな美人が・・・と思えるくらい美しく若いワシントンポストの記者と名乗る女性が現れて少しく話をしたがただのお互いの紹介にとどまった内容であった。

「アンタこんなところに何しに来たの?」というワケである。

帰りは紅海に面したフランス領ジブチを経由して無事パリについた。
パリでは一泊するらしく夜の街を案内してもらったがこれには感激した。
ムーラン・ルージュとかの近くのクリッシーという猥雑な街にはアダルトショップが軒を連ね次々とのぞいてみたらそこはめくるめくエロスの世界。
今のレベルでいうと大したことはないが所狭しと積み上げられたオールカラーB5サイズの色鮮やかなポルノ雑誌に驚嘆してしまった。
時間の関係もありこの雑誌を数冊買っただけで日本への帰途についてしまった。

日本に帰ってもこのパリの衝撃が忘れられず悶々としていたら、友人に旅行会社の人ができて「ちょっとパリに行ってみたいんだけど・・・」と頼ってみたら3〜4日間で12万円のツアーがあるとのこと。
早速一人予約をして英国航空の機上の人となった。
元々海外旅行など大の苦手、観光にまったく興味がない。
ただ例の雑誌を買い出しにノコノコと出かけて行っただけである。
香水の匂いのするパリの街も散策するにはナカナカ風情があるが、ホテルにこもって何もせずひたすらエロ本を猟りに午後の数時間地下鉄やタクシーで直行した。
こんな感じでパリには一人で2回は行った。

その後は心理学学会。
確か交流分析(TA)学会でサンフランシスコに行った。
これも嫌々であるけれどミリエル・ジェームスとメアリー・グールディングという当時の大御所にお会いできたのは良かった。

心理学セミナーでハワイに5回ほど行った。
マウイ島に友人もできた。
スーツに手ぶらで出かけたこともある。
ハワイは元々あまり好きではない。
空港に降り立った時のモワーンとした暑さが苦手である。
日本のショッピングモールのような日本人だらけの賑々しい空港の雰囲気もイヤラシイ。
とにかく用事(セミナー)だけに集中して他には何もせず帰ってきた。
当時、同時多発テロ9.11事件の煽りで飛行機はガラガラ、凄く快適な空の旅を数回経験した。

またボランティア活動「ネパールに学校を・・・」の随伴ドクターとして誘われて断れずにネパールまで出かけた。
こちらは香港経由であったが香港などさらに興味がない。

ネパールは正直面白かった。
山登りには閉口させられたが夜の星空には感動した。
漆黒の空にこぼれるような星々。
この美しさは見た人でしか分からない。
感動した。

香港もその後2回出かけた。
何も面白くない。
食事に興味がない。
ホテルにも興味がない。
韓国のソウルにもプサンにも青年会議所の関係で行った。
これも記憶にない程面白くなかった。

中国の大連と北京の両方にも行った。
万里の長城は興味がないからと断ってホテルで寝ていた。
まだまだ経済発展の進んでいない時期だったのでノンビリしていた。
売春婦の女性たちがホテルに屯していてついついせがまれて部屋に呼んだがキモチ悪くてすぐに帰してしまった。
外人は苦手である。
近くはロンドンに計4回出かけて行った。
これは楽しかった。
食事はおいしくないが街の雰囲気が最高で、午後は公園でくつろぎ夜はパブでビール。
実にシンプルな日常を送って過ごした。
何かしら愛着を感じる街だ。
ウチにおられたドクターがロンドンで肝臓移植をされ、その後のfollow upで年1回出かけた。
ロンドンに行くとなぜか元気になる。
不思議である。
この移植外科医はナイジェル・ヒートンといって筆者と同年であった。

このドクターも移植後の合併症で先年亡くなった。

・・・つづく

ありがとうございました
M田朋久



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