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■ 情死 | 2016. 6.21 |
6月に入り例年どおり本格的な梅雨になった。 週間天気予報もすべて雨マークだ。 雨の日はオートバイに乗れないので少々憂鬱である。 6月は日が長く、夕方が長く明るいので、もしかして日本に梅雨というものがなかったならばさぞや楽しいアフターファイブ、アフターシックスが過ごせるだろうにといつも考えている。 農業関係の方々には困った問題とは思えるけれど・・・。 「となりのトトロ」という名作アニメもどうも梅雨の前後が背景であるらしく、みずみずしい鮮やかな緑と小さな稲穂が植えられた水田の田舎風景がとてもノスタルジックで好印象。 それらのイメージを胸に梅雨をやり過ごすのも一法かもしれない。 映画で雨のシーンというと「ストロベリーナイト」。 竹内結子、西島秀俊、大沢たかお出演。 ずーっと雨のシーンで最終カットだけ晴れという作品。 筆者お気に入りである。 それと「死神の精度」、主演は金城武。 いずれの作品も奇妙に印象に残っていて雨の日には何故かふっと心にイメージが浮かぶ。 さて情死であるが、これは最近流行らなくなった。 所謂、心中。 男女が同時に自殺するというのがとてもメズラシクなった気がする。男女ともお互いに対する強い執着とか恋着とかが減じたように思える。それに代わって、別れた女性に対して「逆恨み」というか捨てられた「腹いせ」というか、とにかく愛が恨み、憎しみに変じて殺人という悲劇的結末にいたる事件が社会に散見される。 このような事件を回避するには、やはり浮気癖のあるモテルオトコの方を選んだ方が、余程安全かも知れない。執着が分散されてお互いに安心と言える。 モテル男性へのインタビューでも、時々自らの「ひとり」の女性への「執着」の苦しみに耐えかねて「浮気」に走るケースもあるようだ。 いずれにしても男は女性の愛情の浮沈、熱冷には極めて敏感に作られているようで、どんなにいきがってみても、女性の愛から全き自由を得ている男を知らない。このような意味で本当の自由人とはキリストとブッダくらいであろうか。 今は6月。「桜桃忌」というのがあって、6月19日太宰治の命日を偲ぶ日で、日本中から禅林寺という菩提寺でないお寺に多くのファンが集まるそうである。 実際に太宰が玉川上水に愛人・山崎富栄と入水したのは6月13日らしい。 恐らく死亡確認日を命日にしたのであろう。 これは多分に法律的段取りを踏んだもので、個人的には違和感がある。 太宰治は情死未遂の常習者で、ホントにメズラシイ人物と思えるが無頼派と呼ばれる坂口安吾と同じく生活に平和とまとまりがなく破天荒である。 そう言えば情死とは関係ないが「火宅の人」の作者・檀一雄も無頼派作家の一人である。 意外なことにいかにも真面目そうで無頼派でない作家、有島武郎も情死をした。 相手は人妻で雑誌記者の波多野秋子。所謂不倫相手である。 軽井沢の別荘で縊死をしたとのことで、発見時には白骨化していたそうである。太宰と違って有島の場合、結構な社会の非難を浴びて不公平だなと思えるが、要はイメージの問題で、「らしくなかった」でけで、もちろん「桜桃忌」のようなしのぶ会もなく、なんとなく可哀想である。 よく考えてみれば全く理に適っていない人々の反応ではある。 先年亡くなった渡辺淳一の小説「失楽園」も最後は情死。 それも男女がつながったまま・・・。 文豪ってホントはみなさん情死がお好きなようだ。 愛という名の幻想、単なる誤解を抱えたまま死の瞬間は結構イケてるものなのかも知れない。少しのあこがれは感じる。 死にまつわる負の側面の最大のもの・・・孤独を回避できそうだから。 愛する人との死には殉死という呼称を冠されることもある。 日露戦争の英雄・乃木希典大将は明治天皇の崩御と共に夫婦で殉死したが、これも寂しさや孤独を厭う心の弱さからきているのかも知れないが、乃木さんのそれはモチロン情死とは違う。 あくまで男女の情愛のもつれからさし迫った現実に直面するのが嫌で、そこに至るものであろうと思える。 一時期は一家心中などという曲々しい行動もよく見られたが、最近はこれまたあまり聞かなくなった。 ちなみに有島武郎の情死も6月9日である。 やっぱり6月は荒れるなあ。 雨に濡れた道路脇の紫陽花をつらつらと眺めながら思うことを書き綴ってみた。 ありがとうございました M田朋久 |