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■ 孤独感 | 2016. 6.14 |
最近とみにこれに悩まされている。 人に語ると相手にしてもらえない。 そんな風にみえないそうだ。 仕事、家族、その他の人間関係に孤独を思わせる状態・状況ではないのは確かである。 本当の全き孤独の中に生き、誰にも頼りにされず、相手にもされず、必要とされない苦しみとくらべたら単なる「甘ったれ」と思われてもしようがない・・・と思えるけれど・・・。 子供のころからあった胸の奥でチリチリと痛む自覚のなかった孤独感が年齢を重ねてある時さらにヒリヒリと痛みだしたような感じである。 「古傷が痛む」という感覚である。 心の中をだれにも打ち明けられない。 モチロン打ち明ける必要を感じないのであるけれども、何かしら世の中との疎外感、孤立感、隔絶感・・・そんな感覚は正直なものである。 そうしてこれらの孤独感は周囲にも伝染され、幾人かの深いつながりのあった人を遠ざけて深く傷つけ自分と同様の孤独感を味合わさせてしまっている・・・というような罪悪感もある。 「孤独感と一人でいるというのは違う」「神との一体感を忘れているから・・・」と成書には書いてあるけれども、それらの言葉がスンナリ入ってこない。 涙を流さずに泣いている少年のかたくなな心境・・・。 そんな感じである。 要するにエゴイストなんである。 心が未熟なのである。 10数年前に河合隼雄先生主催の或る心理学のセミナーの中で「禁じられた遊び」という映画を観せられて喪失の痛みだか人間の孤独とかについて解説があったが今は何も憶えていないけれど何故この映画なんだろうとあらためて考えてみるに、両親を戦争で亡くし孤児になってしまった幼い少女ポーレットと彼女を可愛がる少年ミシェルの愛の物語ともとれなくない。 幼い魂の出逢いと別れがせつせつと描かれ、哀調を帯びた名曲と共に涙を誘う作品である。 出逢いは良いけれど別れは嫌だというワケにはいかないようだ。 多分セットになっている。 そうしてそれは大凡に反して忽然と起こる。 幼い少女というところが痛々しく胸に突き刺すような悲哀感を呼び覚ます。 河合先生の意図(この映画を観せた)は今でも不明であるけれど、観ていると一時的に孤独感が癒える。 主人公の少女や少年と同調し、落涙し心の痛みは一瞬沈静する。 同じく古いフランス映画で「大人は判ってくれない」というフランソワ・トリュフォーの作品があるが、これも主人公は少年である。 この12才の少年アントワーヌ・ドワネルという少年の深い孤独感にはさらに強く同調させられる。 そういった種類の、その程度の孤独感である。 そうして同じようにこの映画にも傷んだ心を癒される。 3つ子の魂100まで・・・。 少年の心60から・・・。かな。 人間は年をとると魂(感覚)と理性(思考)が遠く分離してしまうらしく、その結果かもしれない。 とにかく耐えるしかない。何をしても本当には癒されないのだから。 映画で癒そうとしたトリュフォも、その作品の主人公も、その試みは、結局失敗しているようだ。 ありがとうございました M田朋久 |