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■ 品格 | 2007. 7.23 |
人間は快楽が完全に無くなると死んでしまうそうだ。 ということは、今生きている人々は皆何らかの快楽を感じている・・・ということになる。 快楽といえば、禁欲主義というのも意外なことに一つの快楽主義だそうである。 このことについては次回のテーマといたしますので割愛いたします。 快楽は、普通、欲望と結びついている。 食欲、性欲、集団欲、睡眠欲、攻撃欲、創造欲等、人間の欲望も創造欲以外は他の動物とあまり変わらない。 食欲、性欲などあまり露骨に丸出しにすると人間でも殆どケダモノと言って良い。 そういう意味では、昨今のTVのグルメ番組、深夜のお色気番組、トーク番組などは、 人間のケダモノの本能を刺激していて、見方によっては少し「お下品」と言える。 欲望そのものは、生きていく上でとても大切なものであるから、全く否定するものではないが、 そこに知性とか創造性が加わらないと「人間らしく」ならない。 「男の品格」だの「女性の品格」果ては「国家の品格」だの、最近は品というものが求められているようだが、そもそもこの「品」なるものはその字面からして「口」に関係あるらしい。 即ち 第一の口は、食べる口 第二の口は、喋る口 第三の口は、舐める口 第三はチョット言いにくいのですが、性行為の時に使う口。キスとか・・・色々。(ここには書けませんネ) それで口を3つ並べると何故「品」になるかというと、こういうことだ。 「品」というのは欲望であってそのものには色合いも何もない、ただただ欲望の入り口出し口だが 「品が良い」と言うのは、欲望のコントロール、隠し方、見せ方が優雅で美しくサマになっているということであり 「品が悪い」と言うのは、それらがうまくコントロールされず、粗雑で荒っぽく、見苦しく、卑しくその場を汚しているということであろう。 食欲、性欲、そして話す言葉、このあたりの欲望の節度の中に、人間の「品」とか「格」と言うものが潜んでいると考えている。 人間は欲望のカタマリである。それは何ら悪いことではない。 ただその表現、その抑制と解放。さらには「粋」と呼ばれる世界まで高められた「無欲」「括淡」「媚態」「色香」などなど、人間らしい慎みが加味されるものを品というのではないか。 しかしながら「露骨」というのも、個人的には嫌いではない。 それは下等な欲望であるけれども「卆直な表現」なので、謂わゆる「上品ぶった偽善」よりはるかに純粋で美しいと思える。 関連の老人施設で、放送禁止用語を大声で奇声を上げる男性が入所されていたが、周囲を明るくする施設の人気者であった。 下品であって下品ではなかった。その人の仁徳であろう。 「品」についての私の講釈。 「ウソ」「デマカセ」「妄言」「妄語」かも知れませんがひとつの考え方としてはオモシロイのではないでしょうか? 本屋に並んだ「品格本」にはこのような論旨は見られなかった気がしましたので、ひとくち書いてみました。 ありがとうございました。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |