コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 一点豪華主義2016. 4.30

母親の遺言めいたセリフに上記の言葉がある。
贅沢するのは良いけれど「ひとつだけにしろ」というものである。
多少アンバランスでもこの言葉は筆者の心の中に生きつづけているようで、何でもかんでも派手にする、高級な品物やクルマや家、貴金属や衣服に凝ることは今まで一度もなかったように思う。
筆者にとって一点とはモチロン、クルマのことである。
・・・とは言えロールスロイスとかベントレー、フェラーリとかポルシェのような超高級車を欲したことはなく、せいぜい国産の高級車か中古のベンツくらいで充分満足なのであるからカワイイものである。
最近の・・・と言っても8年くらいになるがレクサスという日本の高級車ブランドで1000万円以上するLS600hを7年ローンで購入したが、これは結構後悔している。
確かにレクサスは良いクルマであるが値段ほどではない。
中古で充分・・・なんて気がず〜っとしていて、今やっとローンも払い終わって少々年季が入りポンコツになって気に入ってきている。
ヤレヤレ、高い買い物だったなあ。
家とか買っといた方が良かったと今は思う。

経営者だから経費で落ちるとか税金を払うよりチャンとしたクルマに乗りなさいなんていう周囲の声もあったりしてなし崩し的に手に入ったようなもので、特に渇望していたワケではない。
クルマへの渇望というと一番は純白のソアラ2800GTである。
当時はまだ20代であったのでフェアレディーZ(S30/31系)とこの2車種についての思い入れは特別である。
今思えばそれぞれ旧型は130馬力、160馬力であるのでKawasaki14Rnijaの200馬力より落ちるので隔日の感がある。

今でもクルマについての贅沢というとその程度である。
医院を建て替えた。
家も買った。
それらも今思えばとても豪華というほどではない。
それぞれ8000万円、4000万円。
自宅は高かった。
Mという大手の住宅会社のカタログを見て、一番安いのを建てた。
それでも安くはない。
建てた土地が市内を北側から一望する丘の先端の角にあって立地はナカナカのものである。
30代の頃である。
自宅はともかく建物はビジネスの道具くらいにしか考えてない。
考えてみればクルマも経営者で労働者、それも医師免許を持ったタレントを守るわけであるから大きいクルマが良いと神様が与えてくれたのかも知れない。

贅沢が悪いとは思わない。
できるお金があれば好きなだけ思い切りすれば良いと思う。
ただし日本の豪商で淀屋某という人物は贅沢の度が過ぎて当時の為政者や庶民の反感を買ったらしく、金財産が召し上げになったらしい。
現代でも1%の超富裕層が人類の富の50%を所有していて、それをタックスヘイブンの国の会社を利用して税金逃れをしていたと報道されていた。
その暴露ペーパーは「パナマ文書」というらしい。
先進国から中進国、発展途上国などの国家元首や名だたる企業の経営者が名を連ねていて世界中の持たざる人々の怒りを買っている。
経営者はお金儲けが本能であるからある程度は仕方がないことと思えるが、国家の首脳というはマズイだろうと誰が考えても思う。
何せ税金を徴収する側の責任者であるのだから。

一点豪華主義というのは歯止めがかからない贅沢や富への欲求についての欲望の制限として或る種の清貧の思想にも思える。
富裕層ではないけれど貧困層でもない。
・・・かと言って中間層とも言えない。
いったい自分がどのレベルか分からない。
元々そういうことに関心が無い。
日々健康で心やすらかに毎日の生活を楽しくつつましやかに生きていきたい。

チャーリー・チャップリンの名言。
人生に必要なのは「愛と勇気とサムマニー」。
いくらかの必要なお金がサムマニーと言うのだろうか。
ベンジャミン・フランクリンの言葉にもいくらかの貯金は心を安定させるとある。
天文学的な富を所有しているとされる超富裕層。
キリスト教にも仏教にも道教にも説いてあるように貪欲の戒めを忘れているのであろうか。

「富裕層、そんなに持って何をする」

人生の真の富は「何も持たない」状態で得られるらしい。
フリーハンド、自由ということであろうか。
富というものは何かしら人間の心をそれに縛りつけるような気がする。
持たざる人々の不自由もまた深刻であることを考慮してもそんな風に考える時もある。
強度の強迫神経症でトランスワールド航空のオーナーであったハワード・ヒューズは自らの富が減じるのを極端に恐れ、病人のように引きこもり状態になったらしい。

物心両面にわたる豊かさについてツラツラと考えるに精神の豊かさは物質の豊かさを生み、また真の精神の豊かさは富や物資を必要としないと思える。
星を眺め、月を愛で、朝日を拝み、朝露に濡れた馥郁とした草花の匂いを嗅ぎ、裸足で散歩するのに一円のお金も要らず、それら自然の恵みは誰にも、どんな人にも与えられ享受できる。
そうしてそれらの深い喜びを噛みしめるのに人間の作り出した富という名の幻影はそれらの喜びをかなり毀損するような気がする。

一点豪華主義という言葉をKey wordにその一点はそれぞれであろうけれど、生活上の優先順位を明確に決めておくことは人生を実り多いものにすると思える。
実りを富と考える人にとって、それはそれで結構なことであろうけれど・・・。
少なくとも筆者の場合「否」と即答できる。

ありがとうございました
M田朋久



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