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■ 災害対応 | 2016. 4.25 |
熊本地震。 震度7.3を中心に6日間を経ても尚、余震という名の大地の揺れがつづいている。 それは南西方向に拡がりをみせ、県内でも意外な場所にその震度4、5弱強の地震を数百回も起こしている。 それは絶えずつづいているので、まるで常時めまいが起こっているようにも感じる。 当地、人吉は同じ熊本県でも南端にあり南西方向の活断層の帯を免れている。 そのせいか被災した人はいない。 それでも度重なる余震の為に不安で眠れず日中の苦痛を味わう人もいるようだが、一方では深夜の大きな揺れにも目覚めずノーテンキに安らかな眠りをむさぼっている人もまた存在する。 筆者は後者で、それは睡眠薬のおかげであると同時に入眠時のピンク色の妄想と一定の努力をして勝ち得た楽天性の賜物と思えるが、元々耐震性に優れた堅牢な構造物である鉄筋コンクリートの医院の三階に住している為と思える。 ご縁があっていくつかの建物を所有しているが、いずれも建築時にはその耐震性を強く意識して指示をし、デザインし、最初33才のときに建てた我がクリニック・浜田医院においてはコンクリートを流し込む前の鉄筋の数をカウントしたりして深い満足感を得たものである。 元来建物というものは中にいる人を安全に守るということを主目的にしており、単に雨露や寒気・冷気をしのぐのであればバラックでもテントでも良いワケである。 今は大手住宅メーカーの宣伝する素敵なデザインのいかにもロマンチックな“家”を求める傾向があるようであるが、筆者に言わせるとこれらの建築物は構造上も耐震性も家相上も凶である。 デザインはシンプルな箱状のものが良く、大きく突き出したベランダとか複雑に重なった屋根や屋上というものの大体において力学的に耐震強度は脆弱と言わざるを得ない。 ヨーロッパ、特にイギリスなどの住宅の街並みを見ると恐ろしく単純な造りのマッチ箱に屋根を乗せたような建物が整然と規則正しく並んでいるのを見るが、外観的には結構美しいものである。 日本の田舎に建っているバラバラな自分勝手なデザインの家々よりも殺風景と見ることもできるが筆者は美しいと見る。 ロンドン・ダウニング街の首相公邸などは道路からすぐにドアがあり、まるで古い公営住宅の玄関である。 これは日本人からすると少々奇異に映る。 壮麗な宮殿とかお城とかの対極にあるこの素朴さ、単純さがいつも異様にも見えるが、これがイギリス人の感性というものであろう。 以上は耐震性とは無縁であるのは言うまでもない。 ヨーロッパの大地は概ね海底がせり上がって生じた平板な構造で、日本のように火山で生じたアブナイ国土ではないので家の構造に耐震性を持ち込む必要がなく、そんな単純さと壮麗さの併存する建築様式になっているのであろう。 日本の国土は災害の百貨店のようである。 地震、台風、津波、激しい降雨による水害、雪害、山崩れ、がけ崩れ、凸凹の激しい柔らかい土壌に生い茂る森林、鋭角に切り立った山々など見方を変えれば水も緑も豊かで多彩な顔をみせる国土でもある。 それらの軟弱な国土に襲い掛かる余震の不気味さには或る種独特なものがある。 それは脆さ、はかなさ、不安定さ、頼りなさ等々、人々の心を世の移ろい、無常というものに導くようである。 ふんだんに、豊富にある水さえも上水道の断水という極めて単純な状態に適応できないでいる現代人。 川に流れる水、雨水に気づかずペットボトルの水をすぐに想定する。 それが日本人の野生の喪失を思わせる。 都市部、山間部の危険性と共に思わず知らず露呈されてしまった人々の心の脆弱さ。 災害、即避難所というステレオタイプな思想、ボランティアと支援物資のミスマッチ、まだまだ日本の救難システムは未整備なのである。 対応にスムースさが望まれるのにである。 先の大震災に対する人々の対応の素晴らしさに敬意を表すと同時に次に襲ってくるであろう大都市の大災害への備えについての想像力豊かで精緻なシミュレーション、訓練を自衛隊や消防や警察、何よりもそれ他を統括する政府の行動をより良く洗練されたものにする努力を怠ってはならないと思える。 ありがとうございました M田朋久 |