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■ 春雨 | 2016. 4.16 |
桜の花も満開を1日か2日過ぎた頃に春の雨に降られ唐突にその命を散らされてしまった。 白い綿帽子のように華やいだ趣きの桜並木が一気に初夏を思わせる緑色の葉桜通りに変わってしまってどこかしら心寂しい。 花見を楽しみにしている人々にとっては少々うらめしい春雨である。 オートバイに乗るようになって雨をあまり好まなくなった。 年令と共に寂しくなった頭髪のせいかも知れぬが、春雨だろうが秋雨だろうが夕立だろうが・・・とにかく雨という雨が何となく疎ましくあったけれども・・・。 盲目の邦楽家・宮城道雄の文章が少しだけファッション的に納得のいく雨除けの為の黒い帽子と共に筆者の心に雨への嫌悪感をいくらか減じてくれた。 『私は雨の音が好きである。取りわけ春の雨はよいもので軒から落ちる雨だれのなどの音を聞いていると身も心も引き入れられてしまうような感じがする』 『自然の音は私共にとって最も親しいものである。風の音、雨の音、虫の音、小鳥の囀る声、何ひとつ楽しくないものはなく面白くないものはない』 そうだ、音なのである。 “春雨だ、濡れて行こう” という言葉に長年騙されていたような気がする。 雨の楽しみのひとつにはその“水”としての性質に気を取られ、音としての魅力・価値というものについぞ気づかなかった。 バカだった。 4月、6月はバイクツーリングが雨で流れる。 今月(4月)も第3日曜日は雨の予報である。 今年の4月も雨でツーリングが没なら家で心静かに雨音でも聞いて過ごしてみようかなと思う。 音楽もかけず、気に入った小説でも読みながら・・・。 ありがとうございました M田朋久 |