コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 足2016. 2.24

我が母校、東海大学は本校舎が神奈川県の平塚市にあって小田急線の大根(おおね)駅を降り結構な急勾配を登った高台の上にあった。
入学当初は横浜市の叔父の家に下宿していたが通学時間と利便性から大学の近くに部屋を借りることになった。
ちなみに父親の兄、つまり叔父は警察官でその息子即ち従兄はひとつ年上の早稲田の大学生であった。この従兄に自分の大切な大切な厳選して持っているエロ本を勝手に見られるのが嫌で仕方がなかったのをよく覚えている。

横浜から通っている時に講義をサボって終日たむろしていた喫茶店があって、そこで昼食にエビピラフを食べ、夕方になるとビールを飲んだ。
夜になると殆んどスナックで、ママと言っても60代の化粧の厚い小母さんで下校時には完全に酔っ払ってその店の前の砂利の上に大の字に寝てしまったこともある。
同じ建物には古本屋とビリヤード場、雀荘はたまた学生金融もあったりして筆者としてはまるで天国のような地獄のような学生生活であった。

小田急線はそのまま乗っていると終着駅の新宿まで行ってしまい、深酒泥酔の為に行きたくもないのに何度新宿駅に行ったことか。
本来なら厚木駅で乗り換えて横浜方面に向かう電車に乗り保土ヶ谷駅で降り、坂道を登って叔父の家に帰着という手順がどうしてもスムーズにいかない。
この正常で真面目な大学生の行動が取れず、とうとう大学近くにアパートを借りることになった。

どうせ借りるならとスナックVの近所と、坂道を登った頂点の正面にスナックVがあってその階段の下のアパートが共同風呂、共同便所で4畳半の狭い部屋ながら今思えば抜群のロケーションであった。

今思えば・・・というのが味噌で、当時は全然気にもとめなかったのであるが、窓を開け寝転んでいると登下校する学生達の足が次々と窓外を通り過ぎてゆく。
今はどうか知らないけれど、当時は女子学生も多くミニスカートの時代。
物凄〜く刺激的な眺めであったのにまだ20才の若造にはそのエロスと美が分かろう筈もなく、まるで猫に小判、豚に真珠。
喫茶店とかで遊んでいる場合じゃない。
自分の部屋にこもって女性の「足の動き」、何ともなまめかしい女子の歩行姿を終日眺めていたに違いない・・・あ〜あバカだった。
その上どうせ授業とか出ないであろうから余計なお金を使わないで、夜は静かに勉強なんぞにいそしんでいるかも知れない。
ありえないけど・・・。

特に足フェチというワケではない。
これは今でもそうだ。
ただ女性の足というのは特別なもので、その足先を上にたどっていくと・・・なんていう妄想を抱かせるワケである。

人間の想像力というか妄想力はエロス、性欲のエネルギー源だそうだ。
男性のマスターベーションの場合も出来るだけ着衣の画像とか、せいぜいチラリズム程度の微妙なエロスで行ったほうが妄想力を鍛えられて性行動全般に良い影響を与えるらしい。
以前女性の着物姿に凝ったことがあって、しばらく着物雑誌を山のようにコレクションした時期があったり婦人雑誌を買い漁ってそれらに掲載されている、特に素人の人の着衣の画像で興奮していたりしていた時期が40代から50代まで10年間くらい続いた経験がある。

現在はそのような画像よりも物語、即ち文字や言葉によるエロスとか匂いとか靴とか衣類とか益々マニアックになっているような気がするが、いずれも実際に盗んででも何としても手に入れたいとかいうレベルではなく淡くはかないささやかなものである。

春になるとそれらの欲望が亢進するようで、街に出て普通の女性の普通の歩行の姿なんぞにも軽く発情してしまう始末で神様のくれたこのありがたい欲望も時として苦しみに近い心情を含んでいる気がする。

筆者の個人的な好みでは足はあまり細くなく大腿部が豊かであまり長くないのを好む傾向があるが、無条件に完璧に美しい足というのがたまにあるようで、この場合、特に男性の目には誰に聞いても美しいという逸品(失礼!)があるようである。

どうでも良い話でした。

ありがとうございました
M田朋久



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