コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 自由と平等2016. 1.21

フランスの国旗のトリコロール(赤白青)はそれぞれ自由と平等と博愛という意味らしい。
政治体制について人々は皆簡単に自由と平等を謳うけれど、これらはいずれも突出することなく常にバランスを取ることが望ましい。

アメリカの二大政党、共和党と民主党も自由(共和党)と平等(民主党)をその政治思想の本分としているかに見えるがその出自は少し違っていて南北戦争の時に奴隷解放(平等)を主張して戦ったリンカーンは共和党であり、奴隷制度の存続(自由)を願ったのは民主党の南部諸州の人々である。

今では保守の共和党(自由)、リベラルの民主党(平等)と完全に色分けされているようで民主党の大統領・オバマ氏は言うまでもなくリベラル派であり、国民の平等に主眼を置く政治家であるので、全き不平等きわまりない米国の医療制度の改革をその政治課題の最たるものとして取り組んだが、共和党の猛反対にあって法律は裁可されたものの予算が成立しないという状況に立ち至ったが、とりあえずオバマケアというこの医療制度が2014年に実施されることになった。
メデタシメデタシである。

世界有数の先進国で世界一のGDPを誇るアメリカ合衆国で公的医療保険が不備であったということにはあらためて驚きを禁じえないが、ニューヨーク市のその名のとおりリバティー島(自由の島)にある自由の女神像そのままにアメリカという国が一貫して標榜し続けた思想が自由というものであるから仕方のないことかも知れない。

ソレは経済のみならずあらゆる分野に及び、特に問題になっているのが銃を持つ自由というもので、皮肉なことに銃を自由のシンボルと考えているアメリカ人もかなりの数にのぼると考えられている。
モチロン件のオバマ氏は銃を規制する側(民主党)で、先日のニュースでは子供の犠牲者(銃の)を悼んで涙を流すシーンまであった。

自由は規制を嫌い、弱肉強食を煽り、企業の寡占化を許し、貧富の格差を生み出し、一般庶民からしたらロクなことはない。
これはアダム・スミスの経済思想に基づく考え方で、市場というものは放っておいて自由に競争させると「神の見えざる手」によって民衆は良質な商品を安価に手にし、企業は正当な競争によって善なる企業が繁栄し、悪なる企業は淘汰されるというものであるけれど、そんなに単純に物事が進まないというのは周知の事実である。

その自由な国アメリカですら皮肉なことに平等をその政治目標にしたリンカーン(共和党)、フランクリン・ルーズベルト(民主党)をして偉大な大統領としているのであるから皮肉なものである。

ご存知のようにルーズベルトは、ケインズの経済理論に基づき、トランプの再分配(ニューディール)のような政策で公共事業を乱発し世界大恐慌による経済大不況をしのごうとしたがうまくいかず、意図してかしないでか第二次世界大戦という、降って湧いたような経済救済事件が勃発し(させ?)便乗し、見事な経済復興を成し遂げ、アメリカ以外の国々も同じく戦後の経済成長を勝ち得たようだ。
何と言っても不景気に効く劇薬は戦争なのである。
件のルーズベルトにはソレ(戦争)を意図したという風説もあり、
その立派な容姿とは裏腹に日本人からすると極悪人のように思うこともできる。日系移民を居留区に隔離したのもこの方である。

ごく大雑把に述べると、政治というものはこの自由と平等の掛け合い漫才みたいなもので、我が安部晋三総理大臣もこのバランスをめざして頑張っておられるようで、どちらかと言うと今は平等を目標にルーズベルトのように公的支出を増大させて景気回復をはかり、円安・株高を誘導して原油安にも助けられ、日本経済は概ね持ち直したように見える。
支持率も低調ながら概ね良好のようである。

日本の医療制度はモチロン今のところ平等を主眼として自由競争を許してはいないようだ。
今後どうなるのかは不明ではあるが国民のコンセンサスを得ながら政治体制が進展していくのであればこの医療における平等路線が大きく崩れることはないと予測できる。
何と言っても国の根幹は医療と教育という社会保障の上に立脚する国民の安心の上に成り立つ自由な経済活動というのが本筋と考えているがいかがであろうか。

今は不況なのでルーズベルトのように社会民主主義、やや共産主義的とも思える政治経済体制が最適と思えるし現在の中国の経済指針・外交手法というものが多少強引で策略的であっても、多くうまく進んでいるのはこれらの主たる政治課題を頭の良い多くのエリート達がその明晰な頭脳を寄せ合って決定しているからで、今後中国に敵う経済大国は当分の間出て来ないのではないかと思える。

ただし行き過ぎた官僚主導は必ず腐敗を生み、自らのうぬぼれ的国家主義によって傍から見ると時々とんでもなく「おバカ」な見解や行動を現出することがあるようだ。
けれども中国のエリート官僚たちはこの自由と平等という議論レベルを超越しており、少なくとも選挙制度とか民衆のエゴから自由で、これらから派生する種々の問題を抜きに、国家の政治活動、経済活動をできるのであるから他国の為政者たちからすると羨ましい限りなのではないだろうか。

ありがとうございました
M田朋久



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