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■ 歴史・20世紀〜 | 2016. 1.18 |
昨年末から枕頭に置いて毎日ページを繰って読んでいる本が2冊ある。 20世紀クロニクルとワールドアトラス世界地図だ。 それぞれ重いハードカバーで、A4サイズ・B3サイズ。 鉛筆を片手にランダムに読んでいると時間を忘れる。 久々にハマッているという按配である。 読書灯の下に広がる写真と歴史記事、世界地図の世界はまだまだ世界は広く歴史は重く深く、枯れかかっている好奇心を激しく揺さぶる。 年末に放送されたNHKの映像の世紀、即ち20世紀のドキュメント番組が筆者の古びた脳に火を点けた、この戦争の世紀、激動の100年が面白くない筈がない。 生々しい人間の記録がカラーで蘇る映像。 イヤが応にもはるか遠い時代をごくごく身近に感じさせる。 今は世界大戦の時代ではないけれど中東、ヨーロッパ、アフリカ、南米、東アジアと世界中紛争だらけだ。 先の大戦はユダヤ難民、戦後はベトナム難民、所謂ボートピープル。 今はシリア難民が記憶に上がるがさまざまな難民の数を合算すると数千万人になるらしい。 国を捨てざるを得ない人々、安心して住めない人々がこんなにいるなんて極東の豊かな島国で安楽に暮らしている日本人には到底理解できまい。 1国1民族1国家、すべてが単一化され殆んど移民も難民も流入しない日本国。 それも国境が全て海という幸せな島国。 国歌の存在というものにあまり疑問を抱かない国に国家意識、民族意識が今時育つ分けがないのに諸外国からどう見られているかをひどく気にする日本人。 まるで外国の圧力によって生じている国家のようにのどかな国民性である。 一方で分裂をひどく怖がる中国。 外国に蹂躙され続けた韓国。 欧米列強に支配されて来た多くのアジア・アフリカ諸国。 日露戦争を契機に生じたアジア諸国のナショナリズムは第二次世界大戦を頂点に一気に爆発。 世界中に新しい独立国が生まれ、それと同時に新たな混乱も生じた。 人間の集団、国家というものも分裂と集合を繰り返し、そのひずみから必ず何らかの争いが生じる。 世界の歴史というものはまるで古典落語のようにこの繰り返しという恐ろしくワンパターンな小咄か小劇のようにも見える。 離合集散こそ人間の歴史の本態なのかもしれない。 今はいったん統合された欧州(EU)も分裂の危機にあると聞く。 分裂したソ連、ユーゴスラビア。 同じく多民族国家・中国もその奥底に分裂の危機を常に秘めていて共産党一党独裁という一風変わった政治システムで協力に国家を統一させている。 中国の知識人の多くは国家の分裂・・・というより群雄割拠の時代人々の塗炭の苦しみを味わったという国民性(潜在意識)を持つ為に国家の崩壊をひどく恐れる。 世界の歴史の縮図としての20世紀を俯瞰してみると数千年の歴史が短い時間に、ホンノ100年間に詰め込まれて、映像(19世紀末)の世紀として世界中の人々に供覧させてくれているようにも見える。 世界の地図と同じように人間の歴史も太古の昔から何ひとつ変わっていないのではないか・・・というのが筆者の偽らざる感想である。 ひょっとして人間はホンノ1mmも成長していないのではないか、少なくとも精神的には幼稚なままのようにも思える。 各国の首脳や各種民族、団体指導者たちの論言を聴いていると、いつもまるで子供のソレのように見える。 そうして偉大な指導者たちは常に迫害を受け、獄舎につながれ、ようやく陽の目を見た時にはその人生を終えてしまう。 かくして人間を 精神的に成長させない」というシステムが出来上がっているようにも思える。 大衆・民衆というものは殆んど常に賢人の声には耳を貸さず耳障りの良い、たとえば安易なナショナリズム、家庭的センチメンタリズムに冒されて自己欺瞞と精神の停滞という安易な道を選び「人と争う」という最悪の選択をする・・・のが普通の現実の人間の習性であるらしい。 日本人という民族と日本という国家が「和をもって尊しとなす」の言葉どおり和の国としての模範を示し世界平和へ貢献できればと思うが現在の流れは少しずつ逆行しているようにも思える。 人間の持つ恐れの感情は根が深く、怒りの感情は根を持ち他者や他国への復讐に向かわせるとっても怖い話しではあるネ。 ありがとうございました M田朋久 PS:昭和という元号が少し気になる。 和を昭(やぶ)る・・・という意味だからである。 昭和の62年間は明治・大正とひきつづき20世紀の半分強を占める。 和を昭(てら)すという意味もあるので半分半分かも知れない。 |