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■ 上から目線 | 2016. 1.13 |
この言葉が嫌いである。 上から目線で何が悪い。 そもそも目線が上、・・・というより高いというのは悪いことではない。 昔の成書に「目線の低い女と付き合うな」というのがあって、どういう女性を指すのかというと、人の噂話にあけくれているとか社会とか国家とか世界とかが理解できない、イヤ理解しようとしない女性、身近の事柄即ち自分の子供のこと、自分の家のこと、持ち物、衣服、食事、お金と何もかもが自分に集約されていて思考に広がりがなく他者への共感がない・・・みたいな女性を指すらしい。 つまり目線が低いワケで、少なくとも他者に対して「上から目線」で思考できるということは多少なりとも目線を上に保ちたいという「他者を見下したい」という欲求に根ざした低俗な動機ばかりではないような気がする。 学校の先生や一部の経営者や政治家が上から目線で威張っているのは決して悪いことではないと思える。 特に教師という職業なら人を教え導く、育てる為に目下の者(年令に関係なく)に対してそれこそ上から目線でモノを言って何が悪い・・・というより上から目線であるべきと思える。 平和な時代が長く続くと、社会は女性化し平板化し横社会になり秩序がこじんまりしてくる。 生意気さとか高飛車とか高慢とかをひどく嫌うようになる。 権利意識、平等意識が強くなり義務意識、上下意識、縦社会への嫌悪感などが強くなる。 若者の高揚した未熟な論言を許さなくなる。 少年から青年まで不思議に未熟な思考パターンを残したまま奇妙に老成し、また活力を失くして自己中心的で傲慢なエゴが肥大しているが、それはそれでよいのではないかと考えている。 そんなエゴも社会に出ると「出るくいは打たれる」の諺どおり打たれて磨かれる。 若者たちは生意気な上から目線で大いに恥をかき、激しく打たれ鍛えられていくものなのだ。 目上の人の上から目線などあって当たり前なのである。 それらを容認しない今の社会のムードが嫌なのである。 社会的、経済的に優位にある人々はそれなりの相当の努力をされてきたであろうから大いに上から目線で語れば良いであろうし、そうでない人々も自らの個性と優れた部分が必ずある筈であるからそれらを上から目線で人々に語れば良いのである。 どうもよく観察していると上から目線と言って人を非難している人々の中に何となく幼稚な人物が多いように思え、すべからく立派な人というのはどんな人の話しも平易に淡々と謙虚に耳を傾け、決して「上から目線で・・・」などと人を批評非難などしないように思える。 いかがであろうか。 ありがとうございました M田朋久 |