コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 白髪2015.12.19

観相学の本に若白髪は壮健であるとあって、確かに20代で白髪の大学の友人の何人かはとても元気そうであった。
筆者の髪は30代前半くらいまで物凄く多くて黒々とした(本当はやや灰色がかった少しウェーブのかかった)固い髪が熊嵐のようにフサフサと頭皮を覆っていた。
30代半ば頃に前髪に数筋あった白髪がそうこうしているウチに抜いても抜ききれないくらい生えるようになって遂に35才には理容室で白髪染めを始めた。
そうするといかにも若々しく見えるし、髪もまたシャキッと勢い立って、これが病みつきになり、62才の冬まで何と27年間も染め続けてめでたく染髪卒業にあいいたってしまった。
先述した顔の手術のため洗髪が思うようにできなかったところホトホト嫌気が指していた染髪の面倒臭さ(モチロン他の人が有料でしてくれるのではあるが)もあいまって、ありのままの白髪でいることにしたら意外にも周囲の評判が悪くない。
中には以前より(黒髪の時より)良いと言ってくれる人もいる。
元々ヘアダイが髪も健康上も良くないと聞かされていたので、この先発からの解放感は大袈裟に表現すると長い刑期を終えて、科せられた保護観察が解け晴れて真から自由人になったような気分であった。
その上黒髪の時には正視できなかった鏡をチラ見くらいはできるようになった。
何故だか分からない。
鏡の中のおのれの姿が自分自身とは思えない・・・という感じである。
この鏡に映った白髪の老人は一体誰?なんて、まるで見ず知らずの他人を見るようにしみじみと観察できるのは何故なのか。
ひとつには過去の自分との訣別。
ひとつには老いの受容。
ひとつには薄毛、禿頭に付いての懸念の払拭。
ありていに言えば緑の黒髪(?)と連なる若さへの執着の放棄などさまざまの自分についての自己満足的なイメージの劇的変貌が自分自身の心をして或る種頑なな執われからのプチ「自己解放」が生じたためと思われる。
爬虫類や昆虫の脱皮みたいなものかも知れない。
たかが髪、されど髪。
育毛剤の売れ行き、カツラ産業の隆盛を思えば筆者の「自己解放」など取るに足らないものと思えるし、62才という年令を考慮に入れてもこれらの顛末がもたらした心の解放感は何にも増して有難い。
ちなみに年を取って無理な若作り・・・。
たとえば芸能人のソレなどチト痛々しいと思うのは筆者だけであろうか。

上手に年を取るというのは本当に難しいものである。
異様な顔の浮腫、表情の卑しさ、険しさがその人物の人生の過去を如実に物語る。
証拠としての「顔」の一部である髪・・・、その取り扱いにもかなりの精神的エネルギーを要するし、少なくとも自分の意識の中心が髪よりも顔に移行したことは心底慶賀すべきことなのかも知れない。

追伸
皇室の方々は染髪をしない。ある意味偽りの自分を国民にさらすことを「よろしき」としないという奥ゆかしい意図があられるのかもしれない。
追伸2
「下町ロケット」テレビドラマの吉川晃司という役者さんの白髪あたまが評判らしいが、それの真似をしたわけではない。岩城晃一のそれにはあこがれを感じる・・・けれども・・・。

ありがとうございました
M田朋久



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