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■ 金時計 | 2015.12. 4 |
37年前(昭和53年)に死んだ父の遺品で物として残っているのは今や金時計のみになってしまった。 死の直後4〜5年はワイシャツとかネクタイとかの車とか使っていたけれど、最終的には年を経て残ったのは当時60万円もしたボーム・メルシェというブランドの小さな腕時計だけになった。 それはフェイスが楕円形で薄く金ムクを削り抜いてあり、一見安物であるけれど、よく見ると手作りで手巻きのリューズに宝石があしらってあってナカナカ控え目ながら素敵で上品な雰囲気をたたえている逸品である。 これは冠婚葬祭と大事な仕事の面談とか契約の時に付けていくだけで普段はテレビの横の小物入れに収まって持ち主のお呼び出しを静かに待っていてくれる。 昔の一流大学では大学の優等生には金時計が渡されるそうで、筆者の大学(東海大学)でも慶応大学出身の先生が多くて循環器内科の某助教授がその金時計ホルダーであられたらしい。 とても勉強家で、いつも英語の医学書なんかを持ち歩いていて、学生には「新臨床内科学」という有名な教科書の輪読会をしようと誘われていたが応ずる学生はいなかった。 その後華々しい出世をなさったという話しも聞かなかったので、その明晰すぎる頭脳も主に読書と研究と学業成績に特化したもので、人間関係だとか他の野心(名誉欲とか出世欲とか性欲とか金銭欲)に使われることはなかったようである。 そもそも教科書なんぞを精読したからと言って臨床の能力が上がるワケでもないであろうし、まして世間の荒波を乗り切っていくのに最も大切な人間関係について一切学べる類のものではないので時間の無駄使いもよいところだ・・・と思える。 恩賜の時計と言えばこれまた金時計、それも懐中時計のイメージであるが、軍刀のそれと同じく大戦前の話しで、今は叙勲という形式で天皇陛下からかなり形式的に賜れる。 以前に或る地元の名士の方からロレックスの金ムクの腕時計を頂いて、それは妬く300万円相当のもので、そういうモノを受け取るワケにも行かず心の中でしばらくお借りするという気持ちでおし戴いたけれども、当然ながら1〜2年で多少失礼とは思いつつお返ししたところ、その名士の方も怪訝な表情で不承不承お受けいただいたので心から安心したものだ。 また日本でも有数の企業の方からこれまた100万円相当のロレックスのコンビの金時計をいただいた。 それも初対面である。 自分が何故か気に入ってもらえる。 不思議だ。 最近は年令のせいかシルバーよりもゴールドを好むようになった。 ステンレス、銀だと物足りないのだ。 それで敢えてマイケル・コースという米国のブランドの金時計(もちろんフェイクゴールド)を2万6千円で買って右手首に巻きつけていると気分が結構上がる。 光り物、とりわけ金の精神高揚作用にも何やら確かな手応えを感じる。 スーツにタイ、磨かれた靴とクロコダイルのバッグ、最後にゴージャスな金時計とくればイヤがおうにも下がったテンションも上昇していくにちがいない。 個人的には別に本物でなくても良いと考えている。 他人からの「見てくれ」ではなく、あくまで自分の為のグッズ。 それが近々は金時計というワケである。 ちなみにロレックスの金時計は他の高級ブランド時計同様あまり好きではない。 他の誰かが自慢気に持っている・・・という感覚がイヤなのである。 それで米国女性の人気ナンバーワンブランド、マイケル・コースはその美しさに魅せられ一目惚れ。 値段も極めてリーズナブル。 たかが腕時計に何十万も何百万もかけたくない。 早々にネットで購入。 腕につけてしみじみと眺めていると日頃の鬱気が吹き飛ぶのを感じる。 ありがたや、ありがたや。 そこそこ年配の男女には是非お勧めしたいアイデアである。 ありがとうございました M田朋久 |