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■ 人間関係の四つの裏技 | 2015.10.26 |
@レベル法 人間関係でぶつかり合うのは同じ平面にいるから・・・つまり人は同一平面上で喧嘩をする。 であるので平面を変えれば良い。 この場合レベルは上げても下げても良いが、当然ながら自分の精神的レベルは上げるに越したことはない。 子供の喧嘩に大人は加わらない。 戦い合う、競い合う、衝突し合うのは常に同一平面。 そう考えると人も憎んだり、許せなかったりするのもその人物と同レベルの自分がいる筈なので、思い切ってレベルを変えてみるのも良いであろう・・・というアイデアである。 もっと具体的には「見下す」と言っても良い。 多くの人は人も見下すのはイケナイことと教えて来ているが、悪いヤツやレベルの低い人間を尊敬したり仰ぎ見たり拝んだりすることはあるまいと思える。 Aレッテル法 「人を決めつけてはイケナイ」。 これこそ道徳的、倫理的とばかりに子供の頃から教えられる。 ところが子供と違って大人は普通「変わらない」というより「変われない」。 人は変われると無邪気に考えている人が多いが、多くの「人を変えよう」と言う試みは殆んど徒労に終わる。 どんなに努力しても普通の野球少年はイチローにはなれず、テニス好きの少年も錦織圭にはなれない。 子供でもそうであるのに、まして大人であるなら尚更である。 大人は1mmも変化しないと心得、或る程度付き合ったら勝手にレッテルを貼って厄介な人物、善良な人、頑固な人、素直な人と決めてかかるのも一法かと考えている。 Bターゲット法 セクハラ、パワハラ、モラハラの多い職場や学校、家庭でのDVなど的(ターゲット)に矢を射る人も少なくない。 相手のターゲットに刺さる(傷つく)のが射手からすると、とても面白いのである。 このような輩から身を守る為には甘んじてワラ製、コルク製のターゲットで存在する必要はない。 鋼鉄(ハガネ)のようなターゲットになるか、ターゲットなし、即ち決して断じて「傷つかない」人間になることである。 傷つく我を無くす無我の境地とも言えるが、多くの悟人は人の言葉や攻撃などで簡単に傷ついたりはしない。 鈍感でしたたかな人間になれということではない。 繊細な心をそのままに心をターゲットに見立てて、それを自由に操ろうではないかと言う提案である。 いかがであろうか。 Cストローク法 これが最も正統的方法である。 マトモと言って良い。 交流分析の考え方では人はストローク(相手や自分を認める働きかけ)が無いと正常に生きては行けないそうである。 ストロークは人間社会では挨拶から始まって誉める、握手する、ハグする、場合によってはSEXするなど人は心から認められている、愛されていると感じると「変わる」ことがある。 (モチロン表面的に一時的にではあるが・・) これを継続してやりつづけると人間は変わらなくても「人間関係」は変わり始める。 これが一般的なカウンセリングの考え方の基礎になっている。 相手を変えようとせず無条件に認めること、愛すること・・・これは人間性の在り方としても素晴らしいものである。 いずれにしても「愛する力」は自他に最大効果をもたらす人間関係の妙技ではある。 以上の4法を時宜に応じて、使いまわせば少なくとも自分の精神、心は守れるのではないか・・・と思える。上記の方法は、あくまで、内面的なものであるので、誰にも迷惑も掛からず、心理的に圧力を加えるものでもない。表面的、皮相的なものであるし、精神的安全を確保する一つの手段と考えている。また無用無益な争い、諍いを避け自身の感情エネルギーの漏出を最小限にとどめる妙手ではないかと・・・。多少自己満足している。 ただし、これらの手法はC法以外、子供の教育には基本的に禁じ手である。というより真逆である。だからこそ「いじめ」の問題も子供の場合ヤヤコシイのである。大人のように単なる「ハラスメント」と片付けられない。また大人の場合でも社員教育などを含め多少でも教育的活動を主とする現場では例外と思える。 ありがとうございました M田朋久 |