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■ 映画館 | 2015.10. 9 |
数年前まで片道50kmの距離に映画館があって、オートバイで週に1〜2回通って(?)いた。 そのビル、シネコンプレックスの階下には飲食店が数軒合って、中でもカプリチョーザというイタリア料理店にあったトマトとニンニクのパスタが大の好物で、それを食べてデミコーヒーを飲んで映画のレイトショーを1,200円で観るのが楽しみであったのに件のパスタ屋さんが閉店し、この圧倒的な楽しみが一気に消滅してしまった。 つまりバイクとパスタと映画という3セットが崩れてしまって、映画館で映画を観ることがめっきりと減ってしまった。 この癖は多分高校時代に始まったものだ。 平日に学校をサボって一人オートバイで街に出かけ、人気のまばらな薄暗い映画館の後ろの席に陣取り、足を前の椅子に投げ出してタバコを喫いながら観るB級映画(当時はフランス映画が多かった)は内容などどうでも良く、この自由、この反逆、この微かな背徳の匂いにあふれた不良少年気取りに浸っていて、それが自身に深い喜びを与えてくれていたようである。 あれから40数年。 今あらためてその感覚を味わうべく、せっせとバイクに乗り映画館に・・・と思うのだけれども先述したように何せ目的地がない。 今は深夜営業のファミレスかコンビニ、アダルト系の書店ぐらいである。 全く情趣がない、ロマンチックでもない。 淋しい限りだ。 細木和子と言う有名な占い師の書いた本によれば筆者にとってのラッキーな場所はホテル、山小屋そして映画館であるらしい。 たしかにこれらの場所は何となく落ち着く。 個人的には本屋が良いけれど椅子が無くて2時間以上は疲れる。 バイクの目的地にするにはくつろぎが無く、動機づけとして弱い。 やはりカプリチョーザ+映画だ。 残念。 最近の映画は大人の映画が少なく、日常生活に反映しないのでNGな作品が多い。 クルマが出てくる、オートバイが出てくる、好みの女性が出てくる、主人公がかっこいい、ファッションが良い、音楽が良い、映像がキレイ等々の条件をクリアする映画って割と少ないものだ。 ストーリーなんて二の次、三の次。 何かしら人生の参考になるものが面白いと感じる。 ついでにキタナイシーン、残酷なシーンも少ない程良い。 「これが観たい」と言う程の映画で封切が待ち遠しいなんていう作品はここ数年皆無だ。 そういうわけで映画は1に監督、2に主人公、3に脇役の女性、次にクルマ・・・と、こんな感じで条件がそろうと観に行ってみようかな、なんて思う次第である。 映画館はモチロン、今のシネコンよりも昔のように繁華街の一角に飲食店やパチンコ店、タバコ屋やらに並んで建っている「町の映画館」の方が好もしいのは言うまでもない。 薄暗い館内は殆んど傾斜がなくお客さんが多いと銀幕を観るのにチット工夫を要するけれど、観客席に埋まった按配の座り心地はそれ程悪いものではない。 基本的に映画は一人で観る。 それはこみあげる感情を抑える必要がないからだ。 自由に席も移れるし、出入りもできるからだ。 特に話しもしなくて良いし、聞く必要も無い。 ただただスクリーンを見つめ、映画の物語に没入する(実際、没入しないでボーッとしても良い)。 この全きくつろぎの時間は色々な現実の悩みや憂さを忘れさせてくれ、時には深い感動や人生のヒントになるような言葉に出会うこともある。 最近は滅多になくなったが、時には昔の映画のように美しい男女の上品なマナーと共に発せられる美しい会話で深く心癒やされることもある。 夏には涼しく、冬には暖かく、心と身体を包み込んでくれるのは映画館。 癒やしのツールとしてのコストパフォーマンスには結構高いものがあると思える。 これは一人で観る時に限るし、特にシニア世代には色々な優待制度があって有難い。 物凄く心が傷ついている時には最高の癒やしのスポットは映画館をおいて他にない・・・と思える。 ありがとうございました M田朋久 |