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■ 秋歌 | 2015. 9.17 |
高校3年の秋に女子高の運動会を一人で見に行った。 制服を着てだ。 結構真面目だったのである。 その女子高は九州女学院と言って私立のキリスト教系のミッション校で、地元ではお嬢様の通う学校として知られていた。 筆者のひとつ年上の初恋の人もこの学校の女子生徒で、制服のデザインが韓国女性の着るチョゴリに少し似ているセーラー服で、その為か結構当時から今でも人気のある学校であり生徒であった。 非行少年を気取って夜ディスコに通っていて、その時にチョット顔見知りになった二人組みの女の子がその学校の生徒と言うのを風の噂に聞き知ってノコノコと出かけてみたというワケだ。 夜の化粧をして華やかに着飾った彼女たちも日中に体育服姿で見ると、まだまだあどけない少女で、当たり前と言えば当たり前、不思議と言えば不思議、妙にガッカリしたのを憶えている。 当時から“子供”は嫌いだったのである。 時々大事件になるロリコンの人々や子供好きの男性からすると或る意味とても安全な男であるなあと思える。 何せガキの頃から.「成熟した大人の女性」が好きだったのだから・・・。 ところで秋に聞く歌はまずビートルズ。 先日ポール・マッカートニーが来日して話題になったが、年月を経ても良い曲は良い。 声とメロディーといい、歌詞といいすべてが懐かしく素晴らしい。 高校の同級生の中にはキチガイみたいに好きで、バンドを作って一生懸命歌っていたのを思い出す。 個人的にはそこまでのフリークではなかったので幾分白けていたけれども懐かしいのは懐かしい。 何故かビートルズを聴くと必ずこの秋の女子高の運動会を思い出すのである。 多分水前寺公園に近い公立の競技場で行われた件の運動会の帰り道に親が歯科医院を営んでいた友人の家に立ち寄り日本酒を生まれて初めて飲んで麻雀をして帰った時に聴いたのが確かビートルズではなかったか・・・と記憶している。 ビートルズと言えばそのものずばり「ノルウェーの森」と歌のタイトルを本の題名にした村上春樹の大ヒット小説があって、物語のイントロが飛行機の中でBGMに流れるその曲からフラッシュバックして物語が始まる。 このイントロが大好きであったのに映画ではこの大切なシーンが無く、まったくもって台無しであった。 この小説ではないがビートルズの歌は色々な事を思い出させる。 そうしてそれは少年のホロ苦く、未熟で素朴で軽い心の痛みを伴ったもので、いつも心を少し悲しくさせる。 考えて見れば過ぎ去った過去を思い出すワケであるから悲しくて当然なのだ。 その思い出がいかに楽しくてもひょっとして辛く悲しいものであっても郷愁というものはそういうものなのだ・・・多分。 秋歌というアルバムを持つ小田和正も数曲を選んで聴く。 その他アンドレ・ギャニオン。 来生たかおは秋にはあまり聴かない。 何となく初夏の歌が多い気がする。 人生の秋から冬に入って来て思うのは鋭い喪失の痛みも経験したりして、秋はさらに淋しくどうしても気分は微妙に沈み込む。 ハッキリと淋しいという感情を始めて深く感じたのは或る人の命日、平成20年11月27日。 それまでは人にも自分にも淋しいという感情が実感できないと嘯いていたのが恥ずかしい。 ビートルズ、小田和正、アンドレ・ギャニオンを聴きながら自身の心が今までずっと淋しさの塊であったことに気づかされ、先述した日を境にその塊がようやく溶け出して胸を中心に全身をしっぽりと冷たくなるほど濡らしていてカラダを、ココロをさらに重くする。 音楽は何らかの慰めや癒やしを人間に与えてくれるものであるけれど、夜に酒と一緒に聴くと気分が落ち込んで翌日の気分は最悪だったりするので、できるだけ素面で聴くようにしている・・・どんなに淋しくても・・・。 ありがとうございました M田朋久 |