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■ 断髪式 | 2015. 7.14 |
昔、智の花という小兵の地元力士(熊本県八代市出身)がいて、しばらく大ファンであった。 身長170cm代で当時は舞の海と小兵力士の人気を二分していたように思う。 日大の学生横綱、学生チャンピオンホルダーで一度は学校の先生をしていた。 同じ教師志望の学生相撲の後輩、舞の海の活躍に触発され一念発起。 教職を辞してプロの道に入ったと聞いている。 出世も順調でプロの力士としての戦績も殆んど勝率5分の通算成績を残している。 これはライバル(?)の舞の海と同等くらいのもので、高齢の小兵力士としてはナカナカ立派なものである。 小柄のお相撲さんが巨体をその敏捷な動き・技術で土俵の上に気持ち良くサラッと転がすのは見ていて結構痛快である。 当時は人気も上々で小学館の漫画ビッグコミックの表紙を似顔絵として飾ったこともある。 その頃は場所に入るとスポーツ新聞の星取表を熱心に読み、テレビのスポーツ番組をチェックしていたことを思い出す。 舞の海と同じく小結が最高位で平成13年に引退している。 本名は成松伸哉。 引退後も相撲界に身を置いて後進の指導に当たっているらしい。 一方舞の海はご存知のようにテレビタレントとして活躍しCMもいくつか持っていて、どちらかというと表舞台、華やかな世界で生きておられるようだ。 明るい雰囲気など、やはり容姿が良いというのは便利なのかも知れない。 ただ、今も昔も智の花の大ファンで、たまたままだ現役の頃に博多の中州のクラブでお会いして名刺交換をして手帳にサインまで頂いて感激していたところ「断髪式」の招待をもらった。 これは大変名誉なことであると東京の両国国技館にというところにノコノコと出かけて行った。 力士の名前ののぼりがいつも風にはためき、体の大きいお相撲さんがチョンマゲにいい香りの鬢付け油を漂わせながら雪駄でゆったりと歩いている両国界隈の雰囲気は独特で、江戸時代も殆ど同じであったろうと見まがうものであった。受付で御印を差し出して券をもらい、通称「砂かぶり」という土俵の直近の席に案内してもらった。 郷土の有名人、政治家等やタニマチの人々、友人、知人とスポーツ選手に混じって何だか面映ゆい。 こんな晴れがましい席とは想像もしなかった。 有名人の中には俳優の渡辺謙がいて、この方が呼ばれた時にはチョット歓声が沸き起こった。 まだ若くホッソリとして髪もまだあったけれど、映画やTVで見るよりややスラッとして小柄な人であった。 モチロン180cm以上あるのだけれども何せ周囲が巨人ばかりだ。 これは想像してもらえばご理解いただけると思う。 数番目、つまり後の方で呼ばれて立った土俵は意外に硬く、粘土を固めたような感触でそれほど広いものではなかった。 ポマードで固められたような固いマゲの一筋にハサミを入れるのであるけれど、本当に感動した。 それは力士生命の明瞭な終わりを意味し、もう二度と現役として復帰できるものではないからだ。 一度引退して大活躍をして3度の優勝を勝ち取ったマイケル・ジョーダンとか、ツール・ド・フランスで7度の優勝を果たしたあのドーピングサイクリスト、ランス・アームストロングのように再復帰は100%無い世界だ。 若さというモノが強力な強さの原動力になると同時に選手寿命も人生寿命もあまり長くない厳しいプロスポーツのひとつであるのだ。 日本の国技で、神前で取り行われる伝統儀式でもある相撲。 両国国技館はテレビで見るより狭く、昔のキャバレーのように周囲の観覧席はとても高い位置にあり、砂かぶりなどよりはるかに居住性の良い椅子だ。 断髪式が終わると背もたれのない座布団席から最上階の映画館のような椅子席に陣取りセレモニーとしての取り組みをボンヤリと見た。 当時は若乃花が現役でこの力士のバランスの良い肉体美と肌ツヤの美しさに観客もどよめいた。 その頃は既に横綱であったから流石であるとうならせる強烈なオーラを放っていた。 渡辺謙も白血病を見事に克服し、今や世界の大スター。 ここまでの活躍は当時には想像もしなかった。 この経験を通じて思ったのは「会いたい」と思っている人、興味のある人には自然に会えるものだなあ・・・というのと、その頃(40代半ば)には物凄くノッていて、やることなすことうまくいっている、所謂ゾーンの時期だったように思える。 最近またソレがやって来ている感覚があって何だかワクワクしている。 断髪式についての唯一の後悔は祝儀をもっと入れておけば良かったというもので、本当に「与えそこなった」後悔がいかに長引くかあらためて深く得心している次第である。 智の花関、貴重な体験をありがとうございました。 今後のご活躍を心より祈っております。 ありがとうございました M田朋久 |