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■ 敏感力 | 2007. 6.26 |
流行作家、文壇の重鎮、渡辺淳一氏の「鈍感力」という本が売れている。 「愛の流刑地」という小説を日経新聞に連載され、映画化もされた。 氏の小説が連載されると景気がよくなるそうで「失楽園」という小説もあったが現時点で、 このジンクスは生きているようで経済人、財界人にとってはメデタシメデタシ・・・かも知れませんね。 ドンドン話がそれていきます。スミマセン。 多少ヘソ曲がりの私にとっては、この本は手にとって読んでもみないで論評しているワケなので とても乱暴かも知れませんが、敢えて敏感力という立場もオモシロイかな・・・とこうして筆を執っています。 本来、生物は鈍感つまり「鈍い感覚」の方が生命力があるそうで、人間も多くの生物の中では、 聴覚、嗅覚、触覚、視覚など以外に鋭敏ではない。 犬の嗅覚、聴覚、鳥の視覚等々、少し考えてみるだけで、容易に想像できる。 「人間は鈍い」 「生命力のあるヤツはさらに鈍い」 世間の評判なんてクソクラエ。嫌なことなど見て見ぬふり。知ったことか。ナーンテ言葉を発しているだけで少し元気になる。 傲慢不遜、尊大、エゴイスト、我がまま、言いたい放題、厚顔無恥、自己中心、上記のような生き方を貫き通せるなら或る意味大したものだ。 ただ、私の述べようとしているのは「生き方」というより「感覚」 実際の表現行動は、ともかく、生活スタイル、感覚として持っていれば生きていくのも結構楽かも知れない。 件の渡辺淳一先生は、実際お会いしたこともあり、作品は彼がドクターという理由からではなく、結構好きだ。 もともと、本来、情感豊かな繊細な方だろうと想像する。 だからこそ「鈍感力」というチカラをご自身が欲しておられるのかも知れません。 私自身は、最近は「敏感力」を高めようと努めている。 人間の生活の中のささやかな「色めき」微妙なコミュニケーション上の「空気」自分の体調、心の調子、言葉・・・。 日常生活で起こる本当ささやかな出来事とそれに対する「自分の」「感覚」に敏感に察知しようとしている。 意外にも、「長寿」の方は鈍感な人より敏感な人がはるかに多い。 それはしかし人情の機微、他人への気配りとかより「自分の感覚」に対する敏感さだ。 自分の感覚に鈍感な人々は、どうしても生活が荒っぽくなり飲食や言動に慎みがなく、 結果として悲惨な結末を迎える。 自己の内面に対しての深い洞察と、豊かな感受性という意味では「敏感さ」はお勧めです。 自分を守る為に。 ありがとうございました。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |