コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 風に吹かれて2015. 6. 3

今年も早6月に入った。
緑風香る田舎道のドライブもまた最高だ。
田んぼには水が張られ、苗が斎整と碁盤のように並び、青々とした山陰と青空や雲が写り込み、農道には都会では殆んど見かけない白い軽トラックが並び、小ぶりの赤い耕耘機が畑道をノロノロとかたつむりのように進んでいる。
毎年の田舎の風物も見慣れている地元の人々には何の変哲もないものであろう。
先週の日曜日のように今日もまた理性というものを頭から排除して、殆んど思考をせず風の吹くまま気の向くままルーチンにしている神棚の前の祝詞あげと墓参りをしてクルマの鼻先をしずしずと田舎道に向けた。
クーラーをつけたままサンルーフを開け、窓を全開にして肘を窓枠に乗せ、シートをやや寝かせてできるだけ自分の意図を除けてクルマ自身に走り方も道順もスピードも選択させる・・・様な感覚で運転していると、自然にカラダやココロの力が抜けてきてとても心地良い。
脳裏を去来するさまざまの思い出をひとつひとつ丁寧に味わいながらカーステレオの音楽(今やクルマが数100曲録音してくれている)を聴いているとますます甘い郷愁、ノスタルジーに全身を浸らせてくれる。

郷愁と言ってももっぱら来生たかおの歌ばかり聴いているので思い出も限定的と思われがちであるが、そもそも音楽を心から楽しむ心の余裕が生まれたのは大学を卒業してからで、それまでは勉強とバスケとエロ本で頭がいっぱい。
男女の付き合いも酒も楽しむレベルではなく、当時からクルマに乗るかタバコを吸うか寝ているか、ひたすら次々と襲いかかる試験の嵐をクリアすべくデスクに重ねられた教科書やうず高く積まれた同級生の、主に女子学生の柔らかい丸い文字のコピー紙と格闘していたワケで、ハッキリ言うと小さな容量の頭脳には他のモノが入り込むゆとりが無かった・・・と今では思える。

来生たかおは大学の終了と医者の仕事開始に同期して氏のヒット曲「Goodbye Day」が常に心の中に鳴り響いて、数年後に帰省して開業医になった夏には「気分は逆光線」が大ヒット。
次々に繰り出されるヒット曲が丁度筆者が20代後半か30代のもっとも楽しかった時、また何のしがらみも無かった時で少年時代のような気分も味わえて普段は辛いと感じるクルマの運転を一気に心躍る娯楽に変えてくれる。

或る本には自分の理性的な意図よりも魂の意図、霊的な意図(それを外的意図と呼ぶらしい)に従って気楽にウキウキと行動した方がより良い結果、成果を得られるとのことで、確かに重苦しい頭の痛くなるような理性の有無を言わさぬ高圧的な打算・計算に満ちた声に従って動くよりもはるかに心楽しい。
その上結果も良いということなら理の当然。
「風に吹かれて」即ち言葉の意味そのままに外敵意図にしたがって行動してみるのも一法かと近頃考えている。
何事もジタバタしても「しょうがない」のである。
川の流に乗り海に向かってのんびりと時間という貴重な資源を「使う」のが人生なのかも知れない。
特別大した目的もなく、あくせくと生活の為、お金の為、家族の為に働き色々とどうでもよいことを考えて思い悩むよりも川面の上の小舟に寝そべる悟人・仙人よろしく移りゆく川岸や天空の景色やうつろいを他人事のようにただ眺めて過ごす人生もありなのではないか・・・と思える。

心楽しいけれどドライブのエンディングはチョッピリ寂しい。
やはり本屋。
雑誌や本をペラペラとめくって結局新作のビデオを4本借りて家に帰り、つづけて観賞したけれど風の吹くまま特に考えもせず作品を選んだせいか久々に全部「当たり」であった。
ちなみにタイトルは邦画の「クローバー(武井咲主演の恋愛ドラマ)」と「パワーゲーム」という洋画。
やはり映画はハッピーエンドやね。

ありがとうございました
M田朋久



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