コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 携帯電話2015. 4. 9

最近の映画を観ていると、小道具としての携帯電話の存在が年々増しているように思える。
世界中の人々の生活や文化に深い影響を与えつづけている携帯電話。
今はスマートフォンというパソコンかそれ以上の機能を持つ強者まで現れて、ゲーム機・カメラ・音楽プレイヤー・パソコン機能・カレンダー・メモ帳・テレビ・ラジオなどありとあらゆる現代人の情報受発信アメニティーツールの全てが入れ込まれていてナカナカのマシーンだ。
何はなくともまず「スマホ」。
深刻な依存症まであるそうな。
余計なお世話であるがお気の毒に・・・と思える。
スマホごときで人生の大切な一刻一刻を押し潰していくことに何の悔いもためらいもないこと、その上ケータイ代と称する個人的な固定費が1万円。2万円〜3万円、中には5万円、10万円と空中に霧散してしまうことに・・・。

筆者のように携帯電話の無い時代に医者になって開業医となった時、丁度35才くらいで携帯電話がまだすごく高価で庶民の手にいきわたらなかった時代を過ごして来たので、その有難さ、便利さには本当に驚嘆したのであるけれど、今はその存在のイヤラシサに時々辟易させられる。
悪い言葉であるが反吐が出そうになる。

青山テルマという女性歌手の「そばにいるよ」という歌があって、その歌詞「♪ケータイ握りしめ〜あなた待ってるヨ〜♪」みたいな内容のがあって、これはまた物凄くカワイソウで悲しい。
それが女性なら絵になるが男だと全くもって実にわびしくて情けない。
簡単に携帯電話というけれど、その取り扱いには爆弾なみの注意深さを要することに最近気がついた。
やたらにかけるべきはないし、かかってきても出るべきではない・・・、またメールなどという誠に誤解を招きやすい通信手段も余程気をつけないと大切な人間関係を破壊してしまうこともあるようだ。

職業柄それ(携帯電話)を持たされているが何も好き好んで持っているワケではなく、だいたい放置していることがある・・・というより放置するようにしている。
そもそも職場や家に引きこもっているワケであるから外出時に電源を入れ持って行けば良いワケで、実のところその使用を差し控えるようにしている。
そうは言ってもやはり仕事のツールとしての機能の便利さも捨て難いものがある。
何せ昔のように外出時、医院を空けるときにいちいち所在を伝える為に電話しなくて良い。
その分、報・連・相が雑になってス〜ッと逃げるように外出できるというメリットと同時に報告・連絡・相談のいわゆる報・連・相の粗雑さが露わになっているのは否めない。

いずれにしても功罪、愛憎、悲喜などなど相反する価値(?)を有する誠に厄介で便利な通信機器はである。
それらを包含しつつ個人的にはスマートフォンに挑戦してみたいと考えているが結構ためらいがある。
3年前にテレビを家に入れてしまってからその依存症から抜けられないでいる。
情けないことに仕事を終えると缶ビール片手にテレビを観るという悪習慣がついてしまって読書量や沈思黙考量が減ってしまった感がある。
アダルトビデオにしたって“実戦的”にそれはそれで勉強にはなるが果たして良かったかどうか不明である。
とにかく刺激が強すぎる。
携帯やテレビ、ゲーム、映画など最近のモノは激しすぎる。
おだやかで静かで平和で調和のある美しい物事や事柄が減って全て直接的、刺激的に欲望や衝動を駆り立てる粗雑で荒々しい情報が多過ぎる。
一輪の花びらにも一陣の爽風にも深い感動を憶えるような鋭敏で繊細な日本人の感性が鈍くなったワケではないのであろうけれど“表”に出てくることは無くなってしまった感がある。
時々はそれらのマスコミニュケーション、ミニコミュニケーションを一切断絶して裸の剥き出しの自分自身の心と痛々しいほどに正直に、真摯に向き合って何かしら尊い知恵や魂の声に耳を傾けてみたいとつくづく思っている。
そうでなければ心が少しずつ摩耗して鈍感化し人生の本当の喜び、即ち愛の喜びを味わえなくなってしまうのではないか・・・。
多くの人が何を携帯電話ごときでと思われるかもしれないが、それは或る意味大変な危険物なのである。
それは頻繁にかけまくってもかけられても存在しているだけで大変な爆発物のようで恐ろしくてそれこそ携帯に適さないとさえ思える。

時々携帯電話を家に放置して、ついでに出来るだけ軽装でオートバイで出かけた時の開放感には深くて甘い自由の喜び、生命の味わいがある。
人生で最も大切なモノがありありと実感できるが、それが何であるかは言葉にはできない。

私たちが上記の通信機器によって心の自由を奪われていること、何らかの洗脳を受けていること、豊かな感性を鈍磨させられていることを自覚するべきではないか。
今は百花繚乱の春らんまん、携帯を置いて野に出よう。
そこには素晴らしい自然の風、生命の息吹に満ちている。

追記
先日、友人にスマートフォンで航空券を取ってもらったのをあらためてパソコンで取りなおしたら1割から2割も割高であった・・・ということはスマホのユーザーに恩恵を与えることによって顧客を誘導しようとしているのではないかという意図と、それだけの割引額を吸収できるだけの利益が携帯電話会社にあると思われて益々不気味に思える。
多くの庶民にとってはそれがいかにも便利で安価で有利と思わされて上手に誘導されているようで何となく気に喰わない。

ありがとうございました
M田朋久



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