コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 寝たり起きたり2015. 3.27

自称「虚弱体質」の筆者の場合、仕事以外ではいつでもどこでもすぐ横になる。
モチロン公共の場所では慎んでいる。
以前のコラムでも書いたように朝寝、昼寝、夕寝、夜寝・・・と、とにかく寝てばかりいるがこと仕事に入ると{坐業(デスクワーク)が殆んどなのであるが・・・}割と耐えられる・・・というかとても快適に座っていることができるがプライベートの大部分と寝床で過ごしている。
ふとんの横にVideoと筆記用具と本と水とかビールとかの飲み物。
小さな冷蔵庫が足元にあるのでひょいっと起き上がってビールや食べ物を取り出し、空腹を感じてきたらその冷蔵庫をあさってレンジで温め、これまたふとんの上に小さなテーブルを置いて食べる。
まるで入院生活であるが筆者個人の感覚では高級ホテルの朝食をあちらの人々がベッドの上で摂るのを見ているのでそれほどの抵抗はない。
テレビを見ながらこれ(ディナー)をすると外食とか会合とか宴会とか絶対したくない。
10分くらいで食事を切り上げて読書かテレビをこれまた横になってする。
猫よりも動かない。
チベット体操とヒンズースクワットとプッシュアップ以外には運動らしきものはしない。
今はようやく10年目にして上記の軽体操、筋トレが苦痛でなくなった。
横になって静かな腹式呼吸をしていると頭がボーっとしてきて全身が痺れるように心地が良い。
これを入浴後に全裸でするとさらに良い心持ちになる。
まさに桃源郷だ。
テレビの番組はニュースとかを避けてスポーツか健康に良さそうなものを選択する。
ビデオの選択も個人的な好みでは割とシリアスなサスペンスとかアクションなのであるが、これを観た後は少し気分が落ちるのでやはりアダルトビデオのソフトなモノが良いようだ。
東京出張の折に生まれて初めて手相を観てもらったのであるが(この手相見は年配の女性で東京タワーの下に「店を出して」おられる)、どうも自分の手の平を見ていると生命線が自信が無かったので長い間ためらっていたのである。
ところがこの手相見曰く「長生き」とのことであった。
それも一生涯仕事をすることで、これも願ったり叶ったりついでに金運は良いが貯めるのが苦手とあった。
確かに心当たりはある。
この手相見の女性が言うにはもっと日に当たって運動しなさい、酒は飲むなということであったので、この「寝たり起きたり」の生活はどうもあまり芳しくないようであった。
それでも暇だろうと忙しかろうと開業医の仕事は結構疲れるものだ。
何よりも気疲れする。
知らず知らずのウチにストレスをためてしまうようであるので、やはり何とか体を起こしてハーッ、ハーッ言いながらバイク乗りの準備をして我が愛車を夜の道路にすべり込ませて春の肌寒い風を全身に浴びて帰ってくると何となくシャキッとして元気が出てくる。
ついでにそれ程好きでもない夜の店に出かけてみると沈黙していようと喋ろうと人の話し声や歌声や音楽がいくらか心地良く感じられる。

人間も動物であるからやはり「動く」ように造ってあるのだ。
・・・しかし筆者の場合、フトンに寝ているので一度横になると起きるのがとても億劫だ。
トイレに行くのさえ結構な「力」がいる。
・・・で排尿を我慢して寝入ってしまうこともあるが当然のように尿意を我慢できず起きて立って歩き小便器の前に立つことになるのである。
これが独り暮らしだと何となくモノ悲しい趣きの水音がトイレ内に響き渡って生きている実感と共に奇妙な孤独感を味わう。
何故だろう。
自分の力で起きて立って排尿できるということが物凄く有難くもあり悲しくもある。
この世界、いのちの活動はすべて吸収と排泄、呼吸をしている。
そのたゆまぬ生命活動の中で自分が寝ていられる時間を愛おしく感じられるようになったのはいつの頃からであろうか。
「寝るより楽はなかりけり、浮世のバカが起きて働く」
何とも世人をコバカにした川柳もあるものだが、これを呟きながら寝ていると不謹慎ながら益々良い心持ちになり次の尿意までつかのまの浅い眠りをむさぼることになる・・・。
とにもかくにも有難いことではあるにゃあ〜。
余計な活動をして自らの生命エネルギーと貴重なお金と時間を浪費するより、何やらエロチックで良からぬ妄想やらを楽しみながら横になっているというのも人生の過ごし方として悪くないことなのかも知れない。
ご存じのように人間の脳というものは極めて精巧にできていて、実際の「行動」や「実行」がなくても脳の受け取った情報としてそれが「想像」だったり「妄想」だったりしても、それがとてもリアルでありありと思い描けるならば現実の出来事よりもはるかに豊穣で多彩な喜びをそこから得ることができるかも知れないし、実際に出来るらしいのだ。
・・・であれば或る程度の体験をしたら家に帰って寝たまんまの状態でそれを何度も反芻し味わうことができるとすれば確かに「寝るより楽・・・」の歌も急に意味の深いものになってくる。
考えすぎであろうか。

ありがとうございました
M田朋久



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