コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 東京ブルートラベル2015. 3.19

久々の東京。
ネットで格安チケットを買って鹿児島空港からイザ羽田へ。
飛行機は現在民事再生中のスカイマークエアラインズ。
・・・ところが最初からトラブル発生。
飛行機に搭乗し座席の列を眺めながら「閉所恐怖症にはチョットきついなあ〜」と口走ったものだから大変。
それを聞きつけた小柄なスッチャン(CA)がシートの前のスペースがゆったりしている非常口席は困るので替わってくれと頼まれる。
いつもならハイハイと言うところだが、早朝午前5時から寒い中を出て来て不機嫌そのもの・・・「イヤだ」と返答した。
そもそも飛行機はイヤだけれども閉所恐怖症を感ずるほどではないし、クスリも用意してきているし「自分は医者だ」とメズラシク啖呵をきってまくしたてたところ、ますますスッチャンの態度も硬化して「名刺を見せろ」と言うのでタマタマ持っていた自分の名刺を渡したところそれをメモして返したが、いったん引きさがってまた上司みたいな感じのチョット美人のスッチャンと再登場して、とにかく必死で是が非でも非常口の席には載せたくないらしい様子である。
そういう規定があるのであろうけれど何だかオモシロクない。
まるで犯罪人のような扱いに感じたからだ。
それでもこの一連のCAとのやりとりは教養ある紳士(?)のモノではないのは確かだ。
この為に出発時刻が遅れたりしたら我ながら良識ある日本人とは思えない・・・のでやむなく不承不承席を移ることになった。
このような場面で口論することになって内心忸怩たる思い、自責の念を抱いたが、一方ではやっぱり民事再生とかになっている会社の特徴がスカイマークにはあるなあ・・・。
つまり「お客さん」が中心でないのだ。
席を無理やり移動させた「閉所恐怖症」の乗客に対してその後なんのいたわりもなく、移動へのお礼やお詫びも無く、ただ非常口の座席にはふさわしからぬと「思われた」乗客の移動によって彼ら(CAやパイロット)の仕事が完了しているからだ。
そもそも非常口云々よりもその場所が使用されるような事態になったら・・・。
そんなこと想像してもオソロシクなるが・・・。
閉所恐怖症もヘッタクレも無い、恐らく乗客全員がパニックになってクスリも対処法ももたない一般乗客の方がはるかにマズイ心理、行動になって混乱・騒乱状態になるのが目に見えているからである。その上、非常口席を見回すとそこには、子供もや耳の遠そうなお年寄りだったり、一見して何だか様子のオカシイ人物が、座っていたりして、これらの事実は自分の経験させられた事態とは明らかに本質的に矛盾すると思えるがいかがであろうか?

この事件はエピローグもあって帰りの便もスカイマークであったのだが自動チェックインの際に「受け付けません」と機械がメッセージするのでカウンターに並んでいきさつを尋ねたら、やはり往路の便でのトラブルが原因で席を一番前に指定されてしまった。
これは筆者には大変有難いことで、足が悠々と伸ばせるし可愛らしい二人のスッチャンの動作、行動の一部始終を2時間余りあますところなく充分に拝見できて結果的にはケッコーな結末ではあった。
殆んど思いすごしと思えるが、JALとかANAとかの高慢さとプライドと高飛車とか微かにも漏れ出ることが無い。
どちらかと言うと開放的な感じのするスカイマークの客室乗務員には好感はある。
これらの一見不満に思える顛末も考えてみればマジメに仕事をしている証拠であり、多少融通が利かないのも安全第一、規定第一の航空法だとか社会規定だとか社員教育とかの問題で彼女らCAたちの問題ではないのだから・・・。
それにしても昔TDA(東亜国内航空)に乗った時には、当時の美人のスチュワーデスが隣に座って手を握ってくれたり水を持ってきてくれたりと感動するくらい優しくしてもらってパニック状態に全くならなかったことがあらためて思い出された。
東京のホテル、それも一流ではないがどちらかというとハイクラスの部類に入るホテルに泊まった時には、コンビニに飲み物を買いに出かけたときに雨に降られ雨宿りをしようと立っていたら、ここは駐車場の出入口だから出てくれと追い出された時にはまったくもって驚いてしまった。
何故ならその場所は車の通る車道でもなく歩道でもなく誰にも邪魔にならないホンノささやかなスペースだったからで、これだけの不親切を堂々と出来るなんて東京人も何とアッパレであるなあと感心したくらいであった。
これがお隣韓国のソウルやロンドン、パリ、ニューヨークではどうなのか知りたい。
これらの真面目さ、杓子定規さ、融通の効かなさによって多くの日本人は激しく鍛錬されて先の大震災の時の極めて忍耐強く整然とした秩序正しい世界中で称賛される日本人気質というものが育まれたのであればそれはそれで大変結構なことである。
いずれにしても東京には数え切れないくらい出かけるが一度として愉快な思い、心地良い感覚・感激というものを味わったことがない。
いつもそこはいかにも殺風景で無機質で単調で物語性が無く虚栄的で扁平な印象しかない。
進化したと言えばどこそこのホテルの対応のつくられた美しすぎる程の笑顔で、これには救われるものの、それがたゆまぬ訓練と教説の賜物と思えばサービスを受ける側としては感激が今ひとつではある。
いずれにしても確かなことは、はるか大昔、筆者の子供の頃に憧れた、映画で観て夢見ていた大都会・東京のイメージは無残にも打ち砕かれて、今はもう九州の山奥の田舎モンで充分・・・というより古里に住む田舎人として何となく誇らしくもある。
これは負け惜しみでも何でもない。
それが証拠に最近ではタクシーの中や公共の場で平気で九州弁、熊本弁、球磨弁を話せるようになった。

ありがとうございました
M田朋久



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