コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ クラブ活動2015. 3. 3

60才を過ぎていつ死ぬかわからんし、事故や救急の病気などとにかく一日一日楽しもうというワケで殆んど経験のない高級クラブに行って遊んでみようと、ここ何回かチャレンジしたのでその感想を述べてみたい。

「クラブ活動」という言葉は大学の同窓生(医者)から10年くらい前に聞いたもので何のことかと言うと、キャバクラを含め若くてキレイな女性のいるサロンというかクラブみたいなところで、主に中小企業の社長さんとか医者とか弁護士とか大企業の役員とか部長クラスや芸能人とか要するにお金にゆとりのある人の「遊び」で、若い時(大学生の頃)には少し憧れがあったけれども、20代の若造にそんな遊びができる筈もなく、楽しめる筈もなく断念していたところ、あらためて自分の年令と社会的地位(医者にそんなものがあるとは思えないけれど)、収入(今はそれほど多くない)や老い先の短さを考慮して、とにかく経験してみようということで熊本市内に泊まりがけで出かけてみた。

仕事を終え、コーヒーを飲んで高速で30分の八代市から新幹線で10分、正味40分で熊本駅のJRホテルに投宿し、手ぶらで夕暮れの盛り場に向かうタクシーの後部座席に身をゆだねていると何かしらの開放感とほんのチョッピリのワクワク感を憶える。

知り合いに紹介されたそれらのお店を予約してランダムに出かけてみたところ、その楽しくないこととコストパフォーマンスの悪さから「この遊びは俺には合わない」という30年前に実感したことをあらためて再確認してしまった。
とにかく時間がモッタイナイ。
お金がモッタイナイ。
気を使うのがモッタイナイ。
仕事などよりはるかにストレスフルだ。
お金を払って気を使うなんて人生の浪費、空費そのものだ・・・というのが感想であった。

ギャンブルもダメ、グルメでもない、ゴルフもしない、ついでにガール(クラブ、スナック、風俗など女性関係)の「遊び」がダメ。
その上最近は酒もダメ、スポーツ(バスケ)もできなくなって結局一人で静かに本を読むかオートバイで流すとか映画を観るとかどんどん仕事以外の行動が限定されてきているのを感じる。
もともと旅行も嫌いだし・・・、とにかく「することがない」という感覚に陥る。
特に心にたまった憂さやストレス、孤独感、寂しさを癒やす手段というものが独居と読書とTVか映画なんて、まるで隠者のような生活ではないか。
これらを一気に打破するべくクラブ活動に挑戦してみたが3回で折れてしまった次第である。
トホホ・・・。

高級なクラブを含め夜の店で男性相手の仕事をする人には心の病をお持ちの方が多いような気がする。
無意識的に男性を恐れている、憎んでいる、軽蔑している、復讐心を持っている等々、男性に対して何らかのネガティブな感情を持っている方がいて会話や身振り素ぶりの中にそれらが透けて見えてしまうことが多く、何となくシラけてしまうのである。

社会的に成功した男性の中にはM(マゾ)系の方が多く、そのようなタイプの女性が好もしいのかもしれないけれど、苛められたり蔑まれたり説教されたりするのが「好き」というのが社会的地位の高い人の中に結構な数がおられて、このような商売が成り立っているという説もある。
これらのエライ人というのは周りにそういう人がいないという背景と幼児期に徹底的に鍛えられ(言い換えれば苛められ蔑まれバカにされ)、その結果としてエラクなったという二つの心理的側面があると考えられる。
いずれにしてもこのようなビジネスが成り立っているのであるから大したものである。
個人的にはパチンコ屋さんの隆盛とこれらの夜の店の存在というのがいつも不思議である。
究極的には「寂しさ」吸収業と言えるかも知れない。
家庭での愛の無さ、職場でのストレス、孤独感(トップというのはこれに耐えなければならないらしい)を少しでも癒やしてくれるのであれば先述した2業も社会的存在価値があると思える。
ただしパチンコについては裕福な人はいないらしい。
宝くじを含めて一攫千金という指向性は金運を逃す。
金運・成功運という名の人生の女神はコツコツ地道な努力と愛の人に微笑む。
であるので、どちらかというと不幸な女性が多いと思われる夜の店での蕩尽はひとつの徳積みと言えるのでお金に余裕のある人はそのようなところで多少抵抗があっても遊ぶべきだという説もある。

そう言えば全くそういう遊びをしない男の人生も何だかパッとしないように見える。
筆者もその点は別のカタチの蕩尽があるので少しは救われると思えるが、人生50年と言っていた昔からもう10年も長生きして性欲の衰えも殆んど感じないので、もう少し一生懸命クラブ活動にでも励んでみようかなあとも考えている。
でもしないだろうなあ・・・。
楽しくないことはこの年であまりしたくない。
好きな人、気楽な人、言いたい放題言える人とのささやかで心温まる交流が一番楽しいし、もともと孤独好きな筆者にとっては、本とオートバイとクルマがやはり最も親しいトモダチとなっている。
これでいいんかいな・・・と思いつつ母親の後半生が殆んどこれであったのでやはり血は争えないということが母親の祖父も裕福なくせにわざとみすぼらしい身なりと体裁を「構わない」質素な生活と、まるで隠者のような隠居生活を40代からしていたので、このスタイルは多分遺伝なのである。

ありがとうございました
M田朋久



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