コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 恋愛中毒2015. 2.21

もともと「恋愛をしたい」という欲求を持たれている方を対象に書こうと持っていたが、最近恋愛そのものに興味を持たない若者が増えたそうで、それは割合で表わすと50%前後だそうである。
人間の脳はコミュニケーションをする為の極めて精巧な機能を持っていて、それは主に食物を得ること、安全を確保すること、異性を惹きつける、あるいは獲得することを主な目的として備わっているので少なくとも好もしいオス(メス)を勝ち得る為の努力を放棄してしまうという意味で昨今の恋愛欲求の薄さは人類の進化発展という見地からすると危機的状況と言えるかも知れない。
性的欲求を満たす為に、または快楽を得るのにことさら「異性」を必要としなくなった社会とも考えられる。
インターネットから流されるおびただしい性的イメージ、文言、メッセージ。
またそれらを得る為のツール、即ちスマートフォン・モバイル機器の進化と逆比例するように生身の異性への興味、関心の低減。。

今は激しい性や愛への「飢え」が無く、一見ごく皮相的に人間関係が満ち足りていて、生命が危険信号を発していないのではないかと思える。
子孫を残す為には一定の危険信号が要るらしい。
自らの生命の危機は即ち「生命を残す」という行動、つまり生殖行動を生じせしめる・・・という理屈だ。
あまりにも安楽で遊惰な生活態度、及び環境は人間の、イヤ人類の存続にとって危険なのではないだろうかと考えている。
人間に、それも少年少女や若者たちは全てにわたって「飢え」をつくり出しておく必要があるのではないか。
異性の愛がタダでは手に入らないこと。
それには応分の見返りが必要であること。
そうしてそれを手に入れる為にさまざまの面倒くさい手続きを踏むこと、忍耐すること、待つこと、チャレンジしつづけること等々、それら全部をひっくるめて本当の「恋愛」というものであること。

それは殆どすべて普通の人間関係を破壊し、篤い友情を粉砕し、親子関係を気まずくさせ、ひょっとしたら健康や経済の安定をブチ壊すかも知れない。
言わば生命がけの行動群であるのだ。
生ぬるいトモダチ関係などが本物の恋の代償になる筈もなく、その軽重においてあまりにも差がありすぎるのに若者たちの論言は殆ど同列であるのだから驚きである。
本も読まず、映画も観ずSNSやゲームや音楽に明け暮れて、自らの脳の最大の能力、想像力とりわけコミュニケーション能力を錆びつかせる方向に怠けさせているワケであるから、若いのに既に認知症予備軍と言えるかも知れない。
今は若い人たちでも認知症検査をすると陽性の人がチラチラ散見されるのでこのような恋愛力の低減とあいまって益々危機感を感じてしまう。

筆者の場合、性行動の中心は少年時代から60代の今までマスターベーションなのであるけれど、そのひとつの原因は恋愛がない性行為が生じないという理由によると思われる。
つまりお金で買う(女性)ことに興奮を憶えない・・・というより興ざめしてしまって、たとえ相手(娼婦のような職業のご婦人)が絶世の美女で好みであったとしても、全くストライクであったとしてもその間に恋愛感情が無いと行為を完遂することができない・・・という経験に根ざしている。
20代の時にソープランドとかデリバリーヘルスとか何度となく友人との付き合いでチャレンジしたものの全然ダメであったので、そのような男同士の付き合い、たとえば外国旅行などでも一切それらの行動を目的としたお付き合いはせずキッチリとお断りしている。
結果的に、性的満足を得る為には「恋愛」というものを介在させるしかなくなって、ややこしい女性関係を何年かごとに繰り返し世間の顰蹙を買いつづけているといった按配である。
恋愛には肉体的、精神的、経済的、時間的に莫大なエネルギーを要する。
しかしこれ(恋愛)なくして何の楽しい人生か・・・。
すべての喜びの元は愛であるそうで、愛のエネルギーは強大であるのでこの恋愛力も別なカタチのチカラに変換できれば盛大で深い喜びに満ちた人生を謳歌できるそうである。
ついでに恋愛感情を一気に打ち砕く感情をあげるとそれは「恐れ」である。
恐れに基づいた行動はそれがどんなに相手の為、自分の為と思っていても結末は最悪となる。
また相手への不平不満や見下すこと、軽蔑、感謝の無さ、敬う気持ちの無さなどだ。
これらは常々に口にしたり思ったりしていると良い恋愛はできないし、不幸な結末を覚悟しなければならない。
愛と尊敬と感謝とへりくだる気持ちが楽しい恋愛には大切である。

特に女性は易学的に坤の徳、即ち牝羊のように従順であることが肝要であると説いてあって、愛する男性に対して「あれ、こんなことまでしてくれるの」みたいな従順さというものは大抵の男性は感動的にその女性を愛するものであるが、この話をすると多くの知的女性の反発を買うので現代ではやはり知的でない女性の方が意外にモテモテだったり物凄く男性に大切にされたりする姿を見ているので、少し頭の片隅に入れておかれると良いかも知れない。
筆者の場合、一回の拒絶で折れてしまう程繊細で臆病な心を抱えているので、こと恋愛に関しては別れた後でしつこいストーカーになったりすることは無いかわりに小さな心の傷の為に死んだように心を閉ざしてしまうことが多々あって、時々結構損したなあと思う時がある。
とにかく物凄〜く「愛されている」と感じないと性的興奮が起きないので、少しでも疑いが生じるような事態、たとえば相手の浮気とかあやしさとか僅かな男の影とかほの見えるともうダメ。
さらに自分の好みやなんかもあって我ながらデリケート過ぎる。これらの傾向は我ながら男として情けないとは思うのだが、女性を「恐れる」心理がどうも幼児期に培養されたようで、やはり母親との相性の悪さに起因しているのではないかと推察している。
お金で女性を買う。それは長期的には昔の結婚のようなものも含めて、社会の秩序の維持にとっては、結構なことなのであるけれど、個人的には、どうしても深い愛みたいなものを常に感じていないと早晩その関係は終わってしまうようだ。一度だけ女性にの自分に対する純真で無垢の「深い愛」というものを実感したこともあるけれど、残念ながらその女性は42歳という若さで急死してしまった。これもまたひとつの大きなトラウマになっていて、時々気が狂いそうな「孤独感」に襲われて心が深く沈み込む。

結構緊張感がいるし神経質に思えるかも知れないけれど、こと「自分に対する愛」だけであるので結構怠惰であるとか不潔で入浴もしないとか無作法であるとか教養がないとか学ばないとか無知であるとかは殆どまったく関係が無い。
モチロン家事や料理ができないというのもそれほど関係が無い。
何よりも自分を愛してくれること。
ついでに「自分」の子供を愛してくれることが最大の性的興奮の要件で、これは女性も同じかも知れない。

ありがとうございました
M田朋久



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