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■ 男と女2 | 2015. 2. 3 |
NHKの特集番組で「そもそも男と女とは」なる番組があって、色々と考えさせられることがあり少しく思うところを書いてみたい。 件の番組で特に衝撃的であったのは全世界的に先進国では男性の精子の数が減りつづけていて、その理由のひとつに「精子の競争のシステム」が人間社会では無くなったからだそうであった。 チンパンジーの精子の数と活動能力との比較があって、件の猿は発情期において一匹のメスに対して複数のオスというよりグループのオス全員と交接があるらしく、大量の複数の精子がメスの膣内で競争し、精子の「逞しさ」が磨かれつづけるとのことであった。 ナルホド・・・。 人間の場合、殆どの先進国では一夫一婦制が倫理的(社会的)に良しとされていて、自分の配偶者(メス)が他人と性交して誰の子を産むかワカラン・・・なんて状態に精神的に耐えられる男(オス)などいるまい。 特に若い男性の場合、上記のような事態は殺人事件に発展するほどの精神の狂乱をきたすようなシチュエーションである。 人間に最も近いとされるチンパンジーの性行動があまり参考にならないとしても今の性的な倫理観が人間の生命力、とりわけ繁殖力についてはマイナスに作用しているのはマチガイないようである。 原始部族と言っては失礼になるが、特にエスキモーなどでは男が狩りの旅の間は自分の妻を仲間に「貸す」というか「任せる」というか「預ける」というか一妻多夫とまではいかないが一人の女性が複数の男性と交わることについてそれほどの抵抗がないと聞いている。 ・・・現在もそうかは知らないが・・・。 アフリカの原始部族にも似たような習慣がある例があるらしい。 このあたりの詳細は不明である。 一方、文明の発達にとっては一夫多妻の方がよいらしく、一人の傑出した男が多くの女性を従えて(囲って)独り占めにして養っている状態は多くのオスの競争心を煽り、文明文化が発展するらしく、その逆の一妻多夫であると男は怠惰・怠慢・無気力になり社会の発展はないそうである。 けれども先述した論に従えば人間の生物としてのポテンシャルは一妻多夫のほうが高まると考えられるので、このあたりの判定は微妙な問題である。 今はさらに「男女共同参画社会」とか言う意味不明の言葉があって、男女が社会活動において恐らく等分に分担していきましょうという考え方であると思えるが、これもまた人間の本質、性的心理に反するものであるように見える。 男は女を愛する。 正常で普通の男性は一人の女性を恋して愛し結婚して子供を持とうとする。 これは正常な本能である・・・と思っていた(先述した番組ではそれを望まない男性が多くなっていて、理由が@相手がいないA面倒B・・・だそうである)。 昨今の人口減少と女性の社会進出が多くの人に支持され受け入れられるようになると労働力としての女性の存在という社会の要請があったり、経済的な問題、女性個人の意思もあったりして、この考え方は広く容認されていて殆どの人はこれに違和感を持っていない。 ところが男女の本来的な役割というか生来的な機能について考えると少しく反論が生じる。 本来遺伝的にオスは外に出て狩りをして(お金を稼いで)妻子を経済的に養うこと、社会の荒波から家族を守ることを“業”としているのに現代社会では男に子育てや炊事洗濯などの家事をすることを平気で求める女性も多くなって社会全体でもそれを奨励するような動きもあって男女共同・・・なんて言葉も出現してきたのであろうけれど、これは生物としてのヒトのあり方としては結構不自然なものなのである。 それもかなり性的に・・・。 それであるのに自分の子供(配偶者の子供でもある)の養育に参画させたがる、性的な見返りも(SEX)も与えずに・・・なんてことがある。 そもそも男は女(配偶者)を通して子供を愛すのが普通で、言い換えるならば直接的でなく間接的に母親への愛を子供への愛と表現するものである。 仕事を通じて社会への愛を表現し、その見返りとしてお金を得、それを家族(女性や子供)に渡すことを最大の業としていたのに、その上に家事やら子育てやらを求めたらタマッたものではない。 このような理由から一般的に稼ぎが多い男は所謂マイホームパパではありえず、自然、ビジネスパパになる。 ここらあたりのカラクリの理解を女性も男性もきちんと整理しておかないと早晩不幸な結末、たとえば離婚とか不倫の格好の温床となる。 男女ともお互いの役割、心理や本能の違いを認識し深く理解しておくことが大切であるが、このことを教えてくれるのは特定の書物以外にはない。 最近は少なくなったがかつてのアメリカ映画の影響かマイホームパパは最良の男、優しい男が最高の相手とみなす傾向があるけれど、何よりも女性や子供、家族を守ることのできる強い男性がないがしろにされている傾向があるようだ。 それでも相変わらず肉体的にも経済的にも逞しい有名スポーツ選手がもてはやされる女性の心理傾向に生来的な女性の性向を感じさせる。 少なくとも女性は強く逞しい(経済的、肉体的etc.)男性と優しい男性(家事や子育てのできる)の両方を求めるけれど、これは矛盾するあるいは相反する性向で普通両立はしないと知るべきであろう。 何事も中途半端で良いというのであればそこそこの男女の平和、幸福は得られるかも知れないが・・・。 ご参考までに。 ありがとうございました M田朋久 |