[戻る] |
■ 青の世界 | 2015. 1.21 |
地球は水の惑星だ。 球体の表面の約70%を占める。 人類からすると大量と思える水も、実際は地球を直径1mの丸球に縮尺すると水の量は僅かにフィルムケース一杯程だそうである。 それも飲用に供される水となるとさらに僅少で、世界中にそのような自然な水を保有しているのは日本をはじめ数カ国だそうである。 世界中の水不足は結構深刻で、隣国の怪国・中国では人口の多さもあいまって飲める水を求めて日本の山林を密かに買占めようと企んでいるとのことだ。 飲用に適する水を得る為にはほどほどの高さの山と山林が必要なのである。 砂漠の国でも深い井戸を掘れば水が出るらしいが、その量と効率を考えるとまさに油より高価なのである。 日本人はその豊かな水をふんだんに使って水洗便所にも飲用水にも同じ水を使う水リッチな国なのである。 ありがたいことだ。 さて宇宙に飛び出て地球を遠景したソ連の宇宙飛行士、ユーリイ・ガガーリンは「地球は青かった」と述べているように、今や地球が青く見えることなど子供でも知っている常識となっている。 水分の多い気体が光を反射して地球上の全てを青く染めている。 空も青く、海も青く、山も青い。 遠景すればするほど全てが青く見えるようになっているのが我々の住む地球のひとつの特質となっている。 日昇も日没も世界は最初に青く、次第に赤く、黄色く見える。 空気が「染まる」という感覚においては青以外にないように見える。 青々と染まりゆく冬の夕暮れ。 冷たく澄み渡った空気の中でトンガッタ感じの鋭い稜線を描く山影はとてもロマンチックだ。 日常の繁忙に消耗した脳を休めるのに、この「青のイメージ」ほど心癒やされるものはない。 北野武の映画作品は青味がかけてあるそうで、キタノブルーと呼ぶらしい。 ナカナカ良いセンスで、北野監督の映像美の大きな特徴となっている。 氏の作品全体に漂う何とはない鬱気は単なる偶然ではなく、自己の心の投影として世界を青く染めたいと考えておられるのかも知れない。 意識的か無意識的かは不明であるけれど・・・。 暴力と死に満ち溢れた映画に少しだけの愛。 イヤ逆かも知れない。 愛いっぱいの世界に少しの死と暴力・・・。 いずれにしても少なくともこの地球上ではすべては青みがかっている。 それはひょっとして愛の色かも知れない美しい青、藍色というではないか。 我々人間は神の愛の海の中を泳ぐ魚のようなものだ。 水と空気と食べ物とそれらの全て含まれるH2O(水)のように私たちの肉体の構成要素としても、水と光の織りなす地球の生命の源とその活動には悠久無限の輝きがある。 地上の黄色く汚濁したさまざまの物も大気を通すと青く透き通って見える。 ・・・このような屁理屈でも心理的には結構癒やしの効果があって、この世のすべての出来事や事物や事柄を青色(藍色・愛色?)に染めて、あらためて眺めてみると何となく気分的に落ち着いてくる。 熱くなったカラダを夏の夜のオートバイ、冬の日のオートバイに乗せて冷却する・・・みたいに。 冷却された心の眼は物事をあきらかに、ありのままに見ることができる。 ノルウェーの心理学者、エレン・ナイフスによると「心の動揺しやすい人はお金を稼げない」そうである。 おだやかな心、静かな心、平和な心がなければリッチにはなれないということだ。 そう言えば「静」という字には青が入っていて隣にはなんと「争」がついている。 意味深長である。 「金持ち喧嘩せず」という諺もある。 冷静さとは何事につけ大切なことなのであろう。 「困った人々」「困っている人々」にはこれらと逆に騒々しい心。 落ち着きのない心、即ち衝動性・激情性が多くみられるようだ。 この正月、推理作家協会賞6冠達成・・・な〜んて帯にふってある「その女アレックス」(ピエール・ルメートル)を皮切りに事件もののドキュメントを読み漁ったところ、この世の中の事件という事件がすべてエロスとお金と男女の愛憎劇に端を発しているではないか。 こんなことをツラツラと考えてみると何としても心の静寂を勝ち得るべく「青の世界」を意識して世界を見る必要が少なくとも個人的にはあるような気がする。 それをシンボライズしているのはオートバイで疾駆する今まで決して見たことのない、これからも永遠にみることのない自分自身の姿だ。 それはいつも青々として冷たく深い藍色の世界に溶け込んでいる。 ありがとうございました M田朋久 |