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■ 車中泊 | 2015. 1.17 |
もともと年末年始とかクリスマスとかは苦手なタチで、特にNHKの紅白歌合戦とかは最悪。 その上、昨年は大トリが松田聖子とやらで、AKBとか嵐とか若い男女が集団で踊りながら歌ったり、去年流行した妖怪体操とかのワケのワカラン子供向けの「歌」まであったりしてとにかくゲンナリ。 何と言っても学芸会とか小学校の運動会とか町内の演芸会のレベルの極めて芸術性のない全国的な恒例のイベントが耳障り、目障りで身内との飲酒後の口論もあったりしてついに久々の大晦日の車中泊となってしまった。 今は車の中に泊まるということを通常の宿泊と同等の宿泊手段として社会一般でも容認する傾向があって、それを行うことの工夫を掲載してある雑誌まであったりするようだ。 RV(レジャービークル)とかワゴン車とかキャンピングカーのレベルならいざ知らず、わが愛車、7年物のレクサス600hという国産車はこの車中泊には不向きで、こと中で「寝る」ことについては居住性が悪い。 後部座席には出っ張りがあって凸凹している。 つまり心地良い寝床の一大要素であるフラットさがない。 その上革張りであるから感触も冷え冷えとしてイヤラシイ。 もう少し廉価な旧型のセダンなどのモケット地とかビロード生地の柔らかい、より平たい坐度でこちらの方がはるかに横になるのに適している。 それで後部はあきらめて運転席で寝ることに。 ここは温熱ヒーター付きでモチロン電動式リクライニングも無段階。 国際線のエコノミーで寝ると思えば自由に乗り降りできるし、音楽のビデオも見られるし、飲み物や食べ物もコンビニの駐車場なら自由極まりない。 ネットカフェより落ちるけれども飛行機のエコノミーよりはるかに勝っていると得心して睡眠薬を多め服用して音楽を聴いているといつの間にか眠ってしまった。 もっと若く独身の時にはこの車中泊をチョクチョクしていたことを思い出す。 何かイヤなこと、ムシャクシャすることがあるとクルマに乗ってどこまでも走り続ける。 地の果てまで・・・みたいな勢いで走らせる。 これは冬に多くする行動で、クロード・ルルーシュというフランス人監督も同じ“癖”があるとのことであった。 彼の作品で出世作の「男と女」にはことのほかドライブのシーンが多いけれど、監督自身の特質、感性が良く出ていると思える。 以前にも書いたが少年時代に父親の酒乱とそれにつづく激しい夫婦喧嘩、DVなど荒れた家であったのでよくプチ家出をして夜の街をさんざん彷徨った挙句、結局は自宅の車庫に停めてあるクルマの中に寝る・・・ということをしていたのでその名残であろうか。 ひどく寒かったが騒動の激しい家の中よりははるかにマシ。 それなりに良い寝心地であったようだ。 朝は何故かフトンの中。 両親どちらか、多分母親が抱きかかえて寝床に寝かせてくれたのであろう。 今思い出すと結構泣けてくる話である。 その母も今はもういない。 バイクの方がクルマより好きだけれども、やはりクルマは便利だ。 日本にはどこにいってもコンビニがあり、山があり、川があり、海があり、ガソリンスタンドもそこそこある。 飲み物の自動販売機もいたるところにあって故障しない国産の自動車と好みのCDさえあればどこにでも行けて、今やレンタルビデオ屋さんまであって安価で上質な映画を観られる。 こんなに素晴らしい遊び道具はないと思うのだが若者のクルマ離れが進んでいるそうだ。 携帯、スマホ、ゲームにハマって、その料金も人によっては2万〜3万円とかで「何だ、クルマが買える金額じゃないか」と思える。 人とつながることを好み、時間を潰すことを好み、孤独や寂しさを本能的に習慣的に嫌う現代人の弱さが垣間見える。 自由を愛し孤独を好む筆者とて、はかなく弱い普通の人間であるが、事あるごとに逃げる、離れる、孤でいることを選択しているので人間関係のトラブルは比較的少ない。 SNSとか多くの人とつながろうとは決して思わない。 その上家庭の団欒への理由のない恐れもあったりして本当に我が心ながら「いったいどうなっているだ〜」なんて時々不安になることがある。 ありがとうございました M田朋久 |