コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 心の鍵2014.12.27

多少裏ワザ的な心理操作で「心に鍵をかける」ことを時々する。
モチロン何らかの心の苦しみから逃れる為である。
傷つきやすい心を守る為ならなりふり構ってはいられない。
誰に迷惑をかけるワケでもなく、ただそう、心の中で「決める」だけで良いのでこんな簡単なことはない。
あらゆる欲望、感情、言葉を胸の中から排除して自分だけの為の理想の桃源郷を創り上げ、その中に入り込み何人もそこには入れない・・・というような感覚で過ごしている状態である。
言うならば精神的な逃避である。
秘そやかで静かな引き籠りである。
この状態は少しく胸の痛みをともなうが、その痛みは甘くせつなく結構心地良い。
この方法で自分が招いた精神の嵐をやり過ごす。

以前から何度もこのコラムシリーズで挙例した大物ミュージシャン小田和正の第1回製作映画「いつかどこかで」という作品でも、主人公のヒロイン冬子さんがそれこそ「心に鍵」をかけて生きている、即ち仕事や恋愛、生活全体が表面的には冷え冷えとして殺風景にしている。
そんな風に生きていると昔でいうキャリアウーマンとしてすべてが「うまくいっている」という自覚もあったりして、その生き方を貫いていたところに現われたどちらかというと純心無垢な青年、正木まもる君がどんな冷淡さ、不貞状態にも挫けずひるまず自らの恋心を真っ直ぐにアタックし遂に心の壁が崩れ、本当には心底には人に愛されたい、愛したいという人間の生来的に持っている本能的性向が露わになってクルマの中で泣きつづける・・・というシーンが名場面だ。
或る意味強い女性から、か弱い普通の女の子に変化した瞬間の感動が小田和正の流麗なメロディーと歌声で盛り上げられる。

愛する女性への献身、無償の愛、自己犠牲などなど時任三郎演じる正木まもる君はナカナカカッコいい、筆者にとってはひとつの理想像であるし、多くの男性にはそうした性向が潜在していると思える。

もう一本、蒲田行進曲という「つかこうへい」の名作があるが、これもヒロイン小夏(松坂慶子)に献身するヤスさん(平田満)の生命がけの行動がこれまた深い感動を呼ぶ。
何となく打算や計算や功利的な男が多くなっている昨今、いかにも「愛の為に・・・」自己犠牲をいとわない行動というものはいつの時代も清々しい。
自己犠牲そのものには若干倫理的に疑問もあるけれども、それが喜びである人OKではないかと思える。 
逆にそのくらいの覚悟で臨まないと人の心の鍵をこじ開けることはできないのではないか・・・。
著名なアメリカ人の心理学者、多分お医者さんだったと思うけれども以前にカウンセリングを受けたことがあって「アナタは自分を隠している・・・厄介なクライアントだ・・・」とか言われて、そんなもんかなぁと当時は腑に落ちなかったけれど、今は何となく自覚がある。
我ながらオカシイと思うくらい心に鍵をかける・・・それもことあるごとに、すぐに。
一体幼少期に何があったのであろうか。
少しずつ自分の心の奥底を恐る恐る見るようになったのは35才の時に受けた自己啓発セミナーであった。
そのセミナーにも最近はご無沙汰であるので近々はますます心は閉ざされたままだ。
こんな心なのに色々な人が何かと案じてくれて有難いのではあるけれど何とも反応のしようが無い。
何かしら絶望的な黒い塊が心の底に鎮座して、美しく純心で清らかな水が流れずに昔の工場地帯の沿岸の海底に沈殿する汚泥のように心を濁らせているような気がしている。
そうして周囲の人の心もその投影で、どちらかというと汚濁した心を持つ人々と同調しているような恐怖感を味わうこともある。
時には瞬間的に悩んでしまうこともあるけれど日常生活にはさして問題はないようだ。
少なくとも傍から見ると・・・。
案外傍から見ても「何かオカシイ」「狂人ではないか」と思われているのかも知れない。

純粋に精神的に周囲を見まわしてみても「心にしっかりと鍵をかけて決して開けない」というようなお気の毒な人もおられて(そういう人は殆ど自覚がない・・・というのは心の扉を開けたことがないのでその喜びの実感、解放感が分からないのだ。
そうして表面的で冗漫なやり取りを長々と無意味にやっていて悦にいっている。

心の鍵を締めているのは用心深さの証でもある。
生き馬の目を抜くようなビジネスマンとか経営者とか闇の社会、裏世界など危険に満ちたリスキーな人間に囲まれて生きる人々にとっては心の鍵が必要であろう。

心に鍵をかける一番の動機は「傷つきたくない」という防衛心だ。
そうしてさらに「人を信じられない」「世界は危険に満ちている」という恐れだ。
そうしてそれから得られるのはまやかしの、偽物の安心だ。
それでも何とか「うまくいっている」ように見えるのは自分のエゴの生み出す欲望、不安、恐れ、ネガティブな感情、考えなどを心の或るスペースに押し込めて鍵をかけて表面ヅラだけで生きていると、結構立派な人だと周囲から誤解されたり、自分自身もまた自らの嘘に騙されたりしてしまって、これで通用すると思い込んでしまうこともあるようだ。
時には全く自覚もなく心と表面が分裂していて、何もかも嘘だけであるのにそれなりに周囲の評価を得て立派な身分に就いている人々がいるがいずれ化けの皮が剥がれて結構悲惨な結末を迎えることもあるようだ。

そんな荒っぽい人はともかく本来は繊細で傷つきやすい、優しい心の持ち主がコッソリと「心の鍵」を握りしめて滅多に心の内を明かさずひっそりと生きている姿を見ていると、何となく健気で痛ましく恋情にも哀情にも似た不思議な感情を呼び覚まされることがあり、自分自身もまたそのような心の状態の時の自分は好みにあったりする。
心の内をすべて曝け出して素朴に無防備で純心で恐れを知らない人を男女、特に女性を見かけるが、公衆の中、半裸で綱渡りをしているような危なかしさを感じるけれど、そのような女性(男性)は「守ってやらねば」という保護欲、父性欲をそそられることもあり、心の内は結構複雑である。

自分の心の鍵と相手の心の鍵が無意識に一致した時に激しい恋が始まるかも知れない。
かなりの危険性を孕みながら・・・。

そういえば、「心の旅路」とい不朽の名作も「鍵」が大事な物語のキーアイテム(?)になっている。一過性の記憶喪失の主人公が不思議な喪失感を感じながら鍵をたえず握りしめているのが切ない。深く麗しい愛の記憶をたぐりよせるスィートホームの鍵を・・・。

ありがとうございました
M田 朋久



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