コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 感謝力2014.10.10

こんな説教臭いタイトルは嫌なんだけれども、どうもこの“力”が弱いが為に困窮している人々、しないで良い苦労をしている人のとても多いことに気がついてあらためて筆をすべらせている。

筆者の習慣として昼寝であろうと朝寝であろうと夜の睡眠であろうと入眠時には「ありがたいなぁ〜」「しあわせだなぁ〜」と心の中で何度も呟くようにしている。
・・・すると何だかありがたいことがいっぱい心の中に浮かんできて、とってもシアワセな気分に浸ることができる上に寝入りも目覚めも極めてよろしい。

言葉にはやはり侮れないパワーが宿っているようで、こんな2つの単純でありきたりの言葉による良好な気分とそれにつづく幸福幸運な現実にはいつも驚嘆させられる。

人には「ありがたいことなど全くありません」とイヤにキッパリ断固として言い放つほうが結構多いけれども当然ながら幸福にも幸運にも恵まれずついでに不運、不幸、特に心の病、体の病、事件、事故に巻き込まれて散々な人生を送っておられる方が圧倒的に多い。

感謝する力についてはモチロン周囲の人々の期待もあって例えば御礼を言えない、つまり「ありがとう」の一言とかついでに「ごめんなさい」の謝ることもナカナカできない人がいて誠にお気の毒と思うけれど、こういう人も何の因果か結構な暮らしを得ている例もないではないが早晩そのありがたい境遇も失われてしまう・・・ようだ。

「ありがたがらない物は失われる」

という言葉が筆者の思いつきの中にあって、自分だけの中で確信しているがこの法則(?)に合致する例が結構多い。

こういう感謝の足りない人はすべからく不平不満や文句、愚痴など物事の足りない部分、欠けた分、マイナスの部分に目線が惹かれるようで、その発する言葉もネガティブなモノが多い。
・・・結果、周囲から人が離れる、お金の運も離れる・・・なんてことが起こって「なんで私はこんな目に会うの?」みたいな負のスパイラルに入っていってバリバリの被害者意識のカタマリになって自らの招いた不幸の数々をすべて他人や事柄にして少しも自省することがない・・・なんて人もいる。

すべて感謝力の無さの結果といっても過言ではないと思えるがいかがであろうか。

両親に連なる神仏やご先祖に対する畏怖と感謝の念。
お世話になった人々や今現在お世話になっている人への謝念、直接的に恩恵を授かっている自らの配偶者や会社や社会や国家、ふくいくとした大自然や宇宙の運行に対してなど人間の感謝の対象など無限にある筈であるのにそれらについての感激や感謝のない人のなんと多いことか・・・。
成功者の資質として強運、情熱、使命感、決断力、行動力、誠実さ、勤勉さなどいろいろあると思うけれど、この感謝力も付け加えておきたい。
とりわけリーダーシップの能力のひとつとして絶対に身につけておきたい「力」が感謝力と考えている。

ただし人に感謝の要求をするとか、恩着せがましい・・・というのがとてもお下品であることも付け加えておきたい。

ありがとうございました
M田朋久



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