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■ ワンダフルライフ | 2014. 8.30 |
素晴らしい人生。 英語を分解するとワンダー(不思議)フル(いっぱい)ライフ(人生、生活、命)となる。 もともと命は不思議だらけ、いまだに生命の本質的な意味は分かっていない。 その命の働きを存分に使って生きている人間の限られた時間と様態を人生というのであるからワンダフル(素晴らしい、不思議いっぱい)でない人生などない筈であるのに・・・。 そのように感じていない人の何と多いことか。 不思議は不思議のままにそれを素朴に楽しめないのは色々な人間の思考のせいではないか、余計な考えのせいなのではないか・・・と思える。 世の中には「何とかしなければ」よりも「そのままにしておく」ことの方が良い結果を生む、もしくは人生をよりよく楽しむことが出来るのではないか。 今は秋。 月が美しい季節。 月を愛でる季節。 太古の人々、特に日本人には月についての特別な思い入れがあるようで万葉集や古今集など月を題材にした歌は数が多い。 その月についての科学的とされる色々な情報もそれはそれとして誠に興味深く面白いのではあるけれど、月についての人間の感性、芸術性、思い入れに好もしく有益な影響を与えているとは限らない。 中国が月の資源を狙っているとか、月の成り立ちとか思いのほか大きい地球に対する強い影響力とか、どちらかというと純粋に感性的でない情報によって月そのものの美しさとか幻想的な趣きとかが少しく棄損されるようで寂しい。 このように物事というのは知ってしまうとシラケルというかガッカリするというか、とにかく知らない方が良かったなんてことは世の中に山のようにあると思える。 知らないでいいこと、もしくは知らない方が良いことについては割に敏感に対応していて、たとえば配偶者や子供の携帯電話とかには絶対に触れないし、芸能人や著名人のゴシップ記事などもあまり読まないようにしている。 そのような「知らないでいい」ことと知っておかなければならない大切なことの選択について厳正に峻別しているワケではないが、自分自身の感性に照らしてそのときどきの時宜や場所に応じて実践するようにしている。 個人的にはそうであっても現代はどうも監視社会であるようで、街や建物やタクシーをはじめ一般の自動車にも監視カメラがあり、スポーツの判定にもそれは使用される。 それらのシステムが或る意味公正さ、正確さの証拠として適正な手段ではあると思えるがお互いを信頼できない人間は油断をしていると悪いことをするという確固たる前提があるようで少しくイヤな感じである。 その上それらの監視装置やシステムには捏造というおぞましい手法が入り込む隙があるようで何となく不気味である。 人間の心もそうで何から何まで解ってしまったらツマラナイと思える。 人間の心の底には隠された秘密があったり、自分でも気づかない謎があったり誰にも知られたくない過去があったりして人間の物語が生まれる。 すべての小説がそういう謎で成り立っているし、映画も人生も謎解きという側面があるし、また解かれた謎が真実だという確証は実のところ全くない。 犯罪事件などでもそうであるが動機というものが犯罪記録や警察の調書にキチンと反映されるワケではなく殆んどのソレが限りなく嘘に近いか真実に近いか不明、言うならば捏造と考えて良いのではないかと考えている。 明文化されたり文章になったりしたものが真実では決してないのだ。 ひとつの表現としてそれらがあるのではないかと思える。 話がそれてしまったがワンダフルライフ、素晴らしい人生というものがごく一般的には愛と感動、楽しさに満ち溢れた面白さや豊かさでいっぱいなのは不思議がいっぱいだからこそ純心で素朴な田舎の子供のように好奇心旺盛な心の状態で世界はいつまでたっても神秘的で謎だらけで全く「退屈しない」ということではないだろうか。 大人になって色々と知識や情報を知り、それがあたかも「何でも知っている」と勘違いをして子供の時のみずみずしい新鮮な好奇心が失われ、本来ワンダフルであるべき人生を不思議のない「分かっている」つもりの人生を送って楽しくない、面白くない人生を送っている大人が多いような気がする。 筆者にとっての謎はまず女性の心と肉体で、いくらか視覚的、科学的(?)にそれらを分析し、調べても興味・好奇心が尽きない。 これは大自然や宇宙の運行のそれより興味をそそられるもので、相変わらずこの探究をしている。 何だか分かったような女性の心理や肉体の解説などを読んだり見たりするとひどくがっかりさせられることもあるので、知らないで良いことはそのままにしておくという姿勢でいる。 子供の時知った言葉のひとつで「女性が一人でいる時の生活を知ったら男は皆ひどい幻滅をしてしまう」というのがあって、この言葉は今でも心の中で警鐘を鳴らしている。 ありがたいことだ。 素晴らしい人生(ワンダフルライフ)の為には知らないで良いことに安心と満足を憶えることと謎をつくってそれを追求するということではないだろうか。 新しい謎を発見するとワクワクする・・・というのが最近の筆者の正直な感覚である。 ありがとうございました M田朋久 |