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■ 流浪 | 2014. 8. 6 |
「住むところを定めずさ迷い歩くこと」とある。 若い頃にはこのような状態についての強い憧れがあって、世界中を放浪したいとかの欲求を持っていたけれど、幸か不幸かそれは実現せず、30年以上も故郷の田舎町に定住する羽目になってしまった。 若い時には想像もしなかった状況であるが、さして後悔という程でもない。 しっかり根を降ろした「生活」が自然に確立されて安楽といえば安楽である。 内科の医院を開業し、結婚し子供を授かり、関連の施設を立ち上げ、地元の金融機関を中心に地場の企業、地域の人々との深い絆によって支えられてとりあえず生き永らえさせてもらっていることそのものには常々深謝しているものの、心の奥底には流浪、浮浪、漂流、漂泊と言った根なし草的ハグレ者への微かな羨望があったりして時々は何もかも打ち捨てて逃げ出してしまいたいという隠れた欲求を強く感じる時がある。 現在は家族、患者さん、職員、金融機関、地域の人々、法律、医療制度など自身のすべてはコテコテのがんじがらめ。幸福には縛られるという意味もあって考えてみればシアワセなことではある。あまーい愛と絆の中にドップリ。 良くも悪くも存在のすべてが何かしらのしがらみに絡め取られている感覚が常にではないけれど総体としてあるけれど、生活者としての便利さもあってナカナカ抜け出せるものではないのだ。 ・・・であるので精神の自由、プライベートにおける自由の感覚を保持獲得すべくできるだけ仕事以外に団体やらに属さず公職や地域の役員、医師会の理事役員などありとあらゆる自分を縛るものや事柄、組織、グループから離れて身を置くようにしている。 それほどスッキリとは処断できていないけれど・・・。 いずれにしても流浪とはほど遠い日常を送っているワケで、いくらかでもそれを感じるべく夜オートバイにまたがって近くの海や山、あるいはネオンの明滅するおびただしい数のクルマが疾駆する幾分危険な交通状況の都会の中に突っ込んでいくと幾らかの流浪感を味わうことが出来る。 生下時から青年期、20代後半までは数年毎に転居を繰り返し、それは6年を超えることはなかったのに28才から60才までの30年以上も地方の田舎町に住んで、どっかりと地域に根をおろし心底では、知られたくもない顔や名前を人々に知られ根も葉もなかったりあったりする噂を立てられたりしながら同じような毎日を送っている・・・。 決して平穏ではなく・・・。 その30年間に何度も“脱出”を試みるも今のところ失敗つづきで強力なゴムでも地元に括り付けられているような按配で自分の医院に閉居させられているような気分も時々味わされる。 昔、小林旭の映画であったり西部劇であったりあの笹沢佐保のヒット作「木枯し紋次郎」とかクリント・イーストウッドの「夕陽のガンマン」シリーズとかアラン・ラッド「シェーン」とかとにかく流れ者の流浪する男の生き様みたいなものに幼児から憧れがあって、アメリカのTVドラマで小さなオートバイで彷徨い走る・・・みたいな類の作品が結構多くて最近でもアメリカの「超人ハルク」とか「逃亡者」とかテレビのヒット番組の多くのロードムービーがあった。 近々大ヒットした(している?)邦画の「永遠のゼロ」も敢えてジャンルを分けると南太平洋や日本を転戦するロード(エア)ムービーと言えなくもない。 野生動物の生態を見ていると多くのメスをかしづかせて悠々としている強大なライオンや日本猿のボスのような例はどちらかというと少数派でオス(男)というものはもともと孤独に耐えて流浪する生き物なのではないだろうか。 先日NHKの世界遺産スペシャルで北海道知床半島に住むヒグマの生態のドキュメントが放映されていたけれど、先述したように一人で(一頭で)厳しい北の大自然の中を生き抜かなければならないオスのヒグマの幾分哀調を帯びた生きざまを見せられるにつけ、人間の男も表面上は社会や会社や家族や女達に飼いならされてメスのようになってしまったオスがかなり多数派になってしまった感があるが、中にはオスの本能を丸出し、、、放浪、流浪、流転の人生を選択しているように見える少数派もいるかも知れない。本人の好むと好まざるに関わらず、、、。そう言えば冒険者たちというタイトルのアランドロンの映画があったなあー。 冒険家、冒険者。流浪的生き方。男のロマンというものが直接的に表現されれば、そのような冒険心に裏打ちされた生き方になるのではないだろうか。 多くの男たちのように、安全安楽にならされ、あたかもそれが素晴らしいものと思わされ(洗脳され)そのような暮らしに甘んじている。 時々オスの野生がうずくようにフラリとバイクやクルマや鉄路やバスで独り放浪の旅に出たくなってしまう。 ・・・でまず今夏はバイク仲間3人と四国へのバイク旅行を計画している。仲間がいるし帰って来るのであるから全然流浪ではないけれど、まずは練習だ。 また今秋は足を伸ばして独りで北陸までバイクで冒険してみたいと考えている。 情けないことに今は一人での外国旅行はできなくなってしまった。 そんなに嫌でもなかった外国一人旅も日本文化の浸透や、世界中で起こっている文化の均一化(グローバル化?)によって興味深さ、冒険的な感覚の減弱があるように思われるのとどうしてもふるさとに居たい、帰りたい、寂しいという気持ちが強くなったためと思える。つまり安心安全の欲求を外国への好奇心が上回ることが無くなった 、、、これはチトさみしいあるね。その上に年のせいと思えるが何となく野生のオスの本能が衰えたみたいで、自分としてはとてもイヤな感じである。 やはり男は飼いならされた猫より一匹狼とか孤高の虎の方が素敵に思える。 漂泊の人生 放浪の旅 流転を繰り返す生活 流浪する生き方 今でも安定よりも冒険、定住よりもコスモポリタンに憧れを感じる。 ありがとうございました M田朋久 |