[戻る] |
■ 倫理 | 2014. 7.28 |
以前、倫理法人会のモーニングセミナーとナイトセミナーの講師を何の御縁か忘れたけれど依頼されて計4回話したことがある。 早朝6時の開始なので夜型人間の筆者としては結構辛いものもあったけれども参加者の方の真面目な聴講ぶりや暖かい応接のお陰でとても気持ちよく楽しく拙話をさせていただいた。 倫理法人会は「企業に倫理を、職場に心を、家庭に愛を」をスローガンに社員や社風を“倫理的”に変化させ、健全な繁栄をめざす・・・というもので社会的にとても有益な組織であろうと思える。 件の会は丸山敏雄(明治25年生まれ)という人の創始で昭和22年となっている。 戦後の動乱期に日本人の道徳感、価値観、伝統が一気に崩壊し混乱した時代を背景に人々の思想的バックボーンを形成するという意味で、当時必要とされる思想運動、試みであったろうことがかがえる。 企業を社会の公器と捉える考え方があって、これは結構健全なもので企業にとっても社会にとっても好もしいものであるが、社会も企業も倫理的であっても生きてゆけない・・・みたいな考えも割と幅を利かしている。 「倫理」という言葉を調べると「人として守り行うべき道、正邪善悪の判断において普遍的な基準となるもの、道徳、モラル」とある。 字面としてもどうも人間の考え方としてのレベルであるもので「人の倫(みち)」そのことわり(理)についてあくまで「人間」の決めた基準であるようだ。 人間の心には本来良心というような純粋無垢な心があるという考え方があって、これを真理とする人も数多くおられるので倫理というものは人が考えたものなのか神(創造主)が与えたものか私見としては不明である。 恐らく両方の側面があると思える。 奈良県に本部のある「天理教」というのがあって、この宗教団体の関係する学校が高校野球で活躍して名が知られているが、PL教団とかもそうであるが宗教をバックボーンにしている学校は少なくとも野球においては強豪が多いのには驚かされる。 松下電器(現パナソニック)の創業者である松下幸之助は宗教団体の忠誠心や無私の刻苦勉励の姿を目の当たりに見てこれを会社運営に当てはめようとした経緯があったというエピソードもあったりして組織における理念、スローガン、教条にみたいなものを追求していくと宗教団体のソレに限りなく近くなるのではないかと考えている。 件の倫理法人会もひとつの宗教団体の一種と考えても良いが、入っている企業がソコソコ業績が良かったりして喜ばしいことではある。 一時期医師の不祥事がつづいて日本医師会が医師の倫理観向上を目指して何らかの働きかけをして我々医師会員にアンケートがまわってきたことがあったが、筆者は「倫理、倫理とかしましく言い立てるといかにも医師に倫理感のない人が多くいるようで社会における医師会のイメージダウンにつながるのでやめておいた方が良い」と回答したがそれきり立ち消えになったようで近頃はそのような働きかけはあまりないようである。 もともと医師を頂点に医療関係者には高い倫理観を求められており、それが当然備わっていることを前提に医師法、医療法が成り立っているが、実際に保健医療制度においてはやや性悪的にルールが決められており、医師には倫理観が無いような制度、しくみになっているようだ。 「人間は油断をすると堕落するし、悪に染まりやすい」という側面もあったりして性善説(個人の倫理観を重要視する立場)と性悪説(個人の倫理観より法やルールを重視する立場)とのせめぎ合いみたいなものが人間の社会というものであろう。 国際的にはブラジルワールドカップにおける日本人サポーターのゴミ拾い事件(?)などもあり、先の震災における日本人のモラルの高さをあらためて世界に知らしめた感があるが隣国、特に中国の横暴的とも言える拡大主義、覇権主義の「倫理なき戦い」ぶりには驚かされるし、韓国の沈没船事件、ロシアの関わったとされるマレーシア機撃墜事件とかイスラエルのガザ地区攻撃事件とかとにかく国際舞台では倫理などないかのような有様であるが、それらがあまりにも常態化して人間様も皆倫理感覚が麻痺してしまって「人の道」など絵空事、偉い人の説く単なるお説教レベルに堕ちてしまった感がある。 倫理、真理、哲理、神理(?)、天理など世の中の理(ことわり)というものをことごとく軽視する風潮が世界中に蔓延しているようにも思えるが、ごく個人的な問題や小さなコミュニティーにおいてはまだまだ倫理的でなければ周囲の人の尊敬や愛を勝ち得ることはできず、各国の国家元首やマフィアやヤクザの世界でも個人のレベルでは割に倫理的に見える人もいるが、別に天理教とは無関係に天の理に沿うように生きて行かないと天罰が下り「ロクなことが無い」という風な文化を持っているのも多くの日本人の特徴ではないかと思える。 ちなみに人間の「さかしらな知恵や知識」より神や天の方が上という考え方を個人的に持っているし、もともと実家が神道であるのでその流れを汲む天理教(詳しくは何も知らないけれど)、言うならば人間の作った数々の倫理教(?)よりも何かしら上に見てしまう。 天の理というと宇宙の法則と勝手に誤訳して捉えているのでそのように無意識に考えてしまうのかも知れない。 いずれにしても近頃の社会の状況、特に国際情勢については少なくとも倫理的でない事件が多く「倫理は地に堕ちている」と考えた方が安全であろうと思える。 ありがとうございました M田朋久 |