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■ 楽天 | 2014. 7.20 |
今は東北のプロ野球チームかその親会社であるネット市場の先駆け的大会社「楽天」とそのオーナー社長・三木谷浩史氏のことがすぐに思い浮かべられるし、またネットで調べると当然ながら件の会社の概要とかビジネスの内容とかにまつわる情報ばかりである。 本来の意味は「自分の境遇を天の与えたものとして受入れ、くよくよしないで人生を楽観すること」とある。 楽天家とか楽天主義とか楽天的とかという風に使われることの多い言葉だ。 字面を単純に見ると「天を楽しむ」となるので、天=創造主=宇宙=神=遺伝子=運命と連なる授かったものをありのままに楽しむという意味になるのであろうか。 東洋思想の碩学・安岡正篤氏の「六中観」というのがある。 曰く 忙中閑有り 苦中楽有り 意中人有り 腹中書有り 死中活有り 壺中天有り とあり壺中即ち、にっちもさっちもいかなくなった苦境の状態でも「天」は開けている意味になるのであろうか。そう考えると、天とは有りがたいものである。 織田信長の「楽市楽座」は当時とても画期的な制度で寺社の特権や一部の商人同士のカルテルからテナント料なしの完全なフリーマーケットで武士の武力による擁護のもとで自由に商売をしていいよというもので、これに「天」をくっつけて言うならばインターネット上でそれをやってのけて数千億の個人資産を築いたのであるから件の三木谷氏も大したものである。ネーミングがすごい。 7月13日の日曜日に東京の靖国神社に参拝した。 たまたま「みたま祭り」の初日。 大東亞戦争70年記念と結構の賑わいであったけれどタイミングが絶妙に良く、午前11時40分の昇殿参拝がほんの数人の参拝者の人々と一緒に厳かな雰囲気の中で柏手参拝ができて幸運であった。 7月中旬ながら熱くも寒くもなくカンカン照りでもなく、どこかしら落ち着いた静かな風情の佇まい。高い木立ちの小さな森の中にたたずむ神殿には敷地内外の喧騒をよそに独特の静けさを保ってそびえている。 何かしら神々しい気分に浸れるかと思ったけれども不思議なことにそれ程の深い感慨は残念ながら味わえなかった。 所謂250万とも数えられる英霊たちも日本国を守る為にそれぞれの家族や土地や会社の基に散会していて「仕事」をなさっているのではないだろうか。 総理大臣の8月15日の公式参拝も実のところ内外の関係者に向けたパフォーマンスか何らかのメッセージなのではないだろうか。 神殿の傍にある「遊就館」には数々の歴史的兵器、軍服、銃火器、遺書、遺影やレプリカや模型が飾られていて厭きないがどちらかというと博物館の域を超えない。 一方不思議なことに鹿児島県・知覧の「特攻記念館」の方が何故か迫力があって、入館すると必ず涙をこらえるのに苦労するほど感情が高ぶる。 館内を点々と飾られている印象的な言葉を披露してみたい。 「君がため世のため何か惜しからむ 捨ててかひある命なりせば」 宗良親王 「身はいかになるともいくさとどめけり ただたふれてゆく民をおもひて」 昭和天皇 「やすらかにねむれぞとおもふ君のため 命ささげしますらをのとも」 香淳皇后 靖国神社を創始命名した明治天皇も数多くの歌を残したが、いずれもせつせつと国民のことを思いやるものばかりだそうである。 天皇と呼称される世界最古の、言うならばきわめて高貴で廉潔な王様を国上に戴いている日本国民は幸せなのである。 国民の90%以上が支持しているとされる天皇制。 国民の本当の意味の楽天はそれこそ我らの天上人のおかげで成り立っており決死の覚悟で戦陣に赴いた軍人軍属の人々の遺書などにも読み取ることができる。 君が代は千代に八千代にさざれ石のいわおとなりてこけのむすまで 日本の国歌も万葉集からそのまま抜選したものであるが、これこそ永遠の平和を願った歌であり「君」も天皇のことなのであるけれど、君の代(天皇の世)も国民の時代も究極的には同じものであるので世界的にみても何ら愧じることはないし、素晴らしい内容とメロディーである。 何と言っても神々しく荘厳な或る種の「静寂」を感じさせる何とも言えない風韻を感じさせる世界に誇れる日本の国歌ではある。 第二次世界大戦後に戦勝国によって捻じ曲げられた歴史観も今は徐々に見直されつつある。 それは皮肉なことに隣国の大国のめざましい興隆とその外圧によって逆に真実が露わにされるというカタチを取って・・・。 「楽天知命、故不憂」(易経)という言葉を紹介しておきたい。 「天を楽しみ、命を知る、故に憂えず」 天命にしたがって達観して生きていると逆境にあっても胆が据わってジタバタせず決して憂えず(嘆かず、悲しまず)天や命を楽しむことが出来る。 人生の指針としてとても有益な言葉であろうと思える。 ありがとうございました M田朋久 |