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■ よりどころ | 2014. 7.17 |
「拠りどころ」という言葉には「頼みとするところ」という意味と「根拠」の2つがある。 医学用語でよく使われるエビデンス(根拠)も研究の結果、大量の情報を集積加工してそれを根拠に行う医療をEBM(Evidence−based medicine)と呼ぶ。 一時期盛んに呼ばれたが今は下火になっている。 医学情報、研究においてはエビデンス(証拠、根拠)が不確定で常に進化変動するもので最近では特に一般の医学情報、健康常識に疑義を示す議論が多く店でも平積み本にそれらの傾向の本が堂々と並んでいる。 中には明らかにインチキ、奇書、偏書もあるが人々の注目を惹き売れ行きを左右される人々の「好奇心」をそそるタイトルは結構重要なのであろう。 これらの類の書物では楽な方向、簡単な理屈、数奇な医学健康情報が好まれるようで、何らかの努力とか我慢、面倒臭い内容のものは店頭に置かれず、また売れもしないようだ。 あの「文芸春秋」の背表紙にもとうとう「医療と健康常識を疑え」というのが出ていて、買って読んでみたが内容はまあまあであった。 「まあまあ」という意味は60%〜80%は当たっているということである。 最近では医学講演会でも研究畑のお医者さんもどことなく自信なさげで、自信たっぷりに自説を述べる人が少なくなったような気がする。 古い話で恐縮であるが、今は常識となっている胃癌ピロリ菌原因説も筆者の卒業時、即ち30年前には胃癌はともかく胃潰瘍についてはストレス原因説というのが定説で、当時はまことしやかにこの説をどんな偉い先生も信じて疑わなかった。 地動説から天動説への変遷並みに驚天動地のビックリ仰天の医学情報なのにである 日本人の癌は現在でも胃癌がトップなのであるからこの説の発見はそれこそエポックメークで近々日本での胃癌発症は絶無になるという予測もあるらしい。 子宮癌、それも子宮頸癌についてもその原因がウイルスであると判明したため予防注射まであるのだ。 これも激減する病気の筈であるけれど周知が徹底も浸透もしておらず予防注射も発症の減少もイマヒトツであるようだ。 医学に限らずすべての学問は日々進化発展(退化もあるかも?)しているのだ。 こんな調子で色々な新しい大発見とか仮説を含めて諸説が錯綜としているので誰も医学について自説を述べられなくなって皆当たり障りのない説ばかりになってしまったのではないか。 個人的には医者に限らずすべての人間は或る特定の説や論や主義に「よりどころ」を置くべきではないと考えている。 それは仏教的に述べるとすべては諸行無常、変化、輪廻していくもので固定的、硬直的考え方は物事の進化を阻害すると思えるからだ。 それにマチガッタ考えで突っ走ってしまって結果が最悪ということが世の中にはかなり存在するであろうし、また意図的に世間を騙す・・・なんてこともあるのではないか・・・と思える。 近々も或る製薬会社は血圧降下剤の効果を降圧のみでなく心保護、腎保護について大袈裟に協調した研究データを捏造させて報告し、それを学界の重鎮と呼ばれるような立派な先生をして「これを使用しなければ訴えられる」とまで言わしめたのであるから大したものである。 単なる医学会と製薬会社の癒着と言うより人間の持つ生来の方向として「自分にとって好都合な情報は受け入れやすく」そうでない情報はカットしてしまうのではないかと考えられる。 いずれにしても「よりどころ」としての情報についてはテレビを中心としたメディア、ネット、書籍などもあるし単なる友人や知人、親族などのあきらかにマチガッタ情報を信じてしまって厄介な状況に陥った人も数多くみているので、知識情報を自分の直感とか貴重な経験知とかと引き比べてそれらの「情報」全般について強くよりどころ、根拠とするのは危ういと思える。 何となく医学情報についての「よりどころ」性について述べてきたが、科学的と呼ばれる事柄のすべてにこれが言えるのではないかと思える。 証拠(よりどころ)の重要性の極めて高い裁判などでその有無、その信憑性、本当らしさについても判断するのであろうけれど裁判官によっては証拠を歪曲して捉えたり全く無視したり軽視したりする例もあったりして何を信じて良いか分からなくなる。 法律については門外漢であるけれども警察沙汰でも訴訟事でも証拠についての認識が意外に甘いのには驚かされる。 筆者の場合、心理的には「何ものにもよりどころを持つべきではない」という知識があって、これもその言葉をよりどころにしているのかも知れないがお釈迦様の遺言にも「己こそ己のよるべ(よりどころ、頼み)よく整えられ己こそまこと得難きよるべをぞ得ん」(頼みにするのは自分が一番で、その自分を頼みになるように整えなさい?) よりどころを夫や子供など家族にだけにしている人、スポーツや芸事・趣味などだけにしている人、仕事だけをよりどころにしている人、SEXや恋愛、薬物、食物、ギャンブルなど所謂「依存(よりどころ)」がいかに危険なものであるかを承知したうえで考えてみると、先述したお釈迦様の言葉はやはりとても有難く貴重で有益なものであろうと思える。 己(自己)を追求していくとそれは宇宙であり、天であり、地であり、神であり、すべての人であり、万物である。 そして無である・・・と考えている。 「よりどころ」という問題にはくれぐれも注意を払って「よりどころ」としたいものだ。 「自分こそ最高のよりどころ」 「おのれこそおのれのよるべ」 これが筆者のよりどころである。つまり何もよりどころを持とうとしない、・・・無、自己、世界、宇宙・・・がよりどころ・・・てな感じ。実に表現が難しいですなぁ。 ありがとうございました M田朋久 |