コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 無理無駄無謀2014. 6.13

「無理」を口癖にされている方がおられて、聞いていて結構耳障りだ。
不肖、我が息子も大学合格前はことあるごとに「無理」と口走っていたので「それはやめてくれ」と説教をした。
無理=できない=不可能に聞こえるからだ。
全くもって科学的・論理的に不可能でもないことを「無理」と言ってしりぞけてしまうのはまことにモッタイナイことである。

経営の常道として無理・無駄を省きましょう・・・と言ったことを信奉されておられる人もいるが、これは多分に官僚的発想で、一般の民間企業では多少の無理や無駄は必要ではないかと考えている。時に無謀とも思えるチャレンジは時に企業を大発展させ窮地を救う。

ソフトバンクの孫正義が自らの通信事業ビジネス、ADSL事業での苦境を打開するためにLBO(レバレッジド・バイ・アウト)という買収手法を使って外資系携帯電話会社を手にし、それを発展させ莫大な利益を得たのは良い見本と言える。

孫さんというと、その頭の良さや綿密・緻密な計画よりもその度胸や大胆さに敬服させられる。
どんな成功者もコツコツとした地道な努力と同時に好機(チャンス)と見たら一気加勢に攻め込む豪胆さを持っている方が多いと見ている。
まさに孫氏(子)の兵法よろしく経営を戦術・戦略と捉え、常に戦いつづけNo.1を目指す氏のやり方は周囲との軋轢をモノともせず、見ていてアッパレであるし痛快である。

真実は決して無謀でも無理なプロジェクトでなかったと思うし、確かな打算勝算があったと思えるけれど、多くの他者・他社から見ればそのような無理無謀に映じたのではないだろうか。

無駄遣いを戒める言葉もこの世には山のようにあって、質素倹約を旨として経済を立て直した事業家もいないではないが、たとえば東芝の社長で経団連の会長であった土光敏夫などその典型であるが、それはあくまで個人の生活や経費削減に限っての問題で、企業の経営、即ちその存続と繁栄の為には時に常識的には無謀と思えるような大胆な挑戦が絶対不可欠ではないかと思える。
ちなみに江戸時代に行われた○○の改革というような質素倹約の方向へ人々を導くような幕府の政策はことごとく失敗に終わっているそうで、そもそも徳川幕府というのは常に安定不変、平穏無事を本能的にその経営体質として持っているので少しずつ衰退していくのは当然のことで、明治維新や廃藩置県という革命的な制度が何事もなく整然と施行できたのは幕府も藩も一部を除いて経済的に疲弊しきっていたという背景もあるらしい。
即ちそのような維新に向かわざるを得ない状態に日本国全体がなっていたし、日本人の意識も旧態依然とした江戸時代の文化やシステムに飽き飽きしていたのだ・・・多分。

日露戦争も太平洋戦争も世界の常識から見れば明らかに無理無謀と思えるが、或る意味そのような状況に追い込まれた日本国の立場もあるけれど、そのような行動に踏み切ってやり切ったという日本人の潜在的ポテンシャルも大したものである。

現政権(安倍政権)の施策はアベノミクスと呼称されるけれども、これも大胆で思い切った政策で多くの経済学者の批判を浴びつつも世界の注目を集めるインフレ指向で増税、財政再建という真反対のベクトルを持つウルトラC的発想で断行され、今のところ良果を得ているようだ。
フランスの哲学者アランの言葉に

「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」

とある。
これと同じようなことをよく説いて人間は油断していると自らの気分に左右され、悲観的になりがちであるが、それを理性や意志の力で無理矢理に楽観し、希望し、願望し、夢を描き、チャレンジしつづけるのが人間の持つ正しい性向なのではないだろうか。
「楽観と楽観のぶつかり合いこそ経済活動の経営者の戦いである」の言葉もある。
景気浮揚の為、経済発展のためには人間の気分を人工的に上げる必要があり、それが経済活動を担う者たちの責務ではないかと考えている。
人間の熟れ切った熱情と膨れ上がった強欲がバブル経済を創出し、それがまた崩壊するのであるけれども全体として人間の長い歴史から見ればそれは経済というものの宿命なのではないだろうか。
ただし、それらの活動によって超富者も生じるように貧困や飢餓も生みだしているかも知れないというところも看過できない事実ではあるけれど・・・。
いずれにしても旺盛な経済活動には無理や無駄や無謀がつきもののような気がする。
著しく金銭運の悪い人の中に他人の為、他者の為にそれを遣うことを「無駄」とする人が多いということに最近気がついた。
自分の為なら「無駄」でなく、他人の為なら「無駄」というワケである。
この考え方こそ貧窮の元になるもので、他者の喜びを持って利とするのが商人、経済人としての常識であって、お金の運の上昇をもたらすものである・・・と考えている。

世の為人の為ならドンドンお金とか遣った方が逆に金銭の運は上がるような気がする。

ありがとうございました
M田朋久



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