コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 僕の猫、僕のオートバイ2014. 6. 3

昔流行っていた小説家で片岡義男という人がいるが、最近は書店の文庫コーナーにもその作品を殆んど見かけなくなってしまった。
結構好きな作家だったのに・・・。
淋しいあるネ。

この方の作品で大ヒットしたのが「スローなブギにしてくれ」。
これは野生時代新人賞を取って映画化もされ、同名の南佳孝の歌も同じく結構ヒットしたようだ。
「彼女の島、彼のオートバイ」という作品もあって、これも映画化された。
片岡義男の作品はオートバイやクルマが重要な役を担っていて、主役と言っても良いくらいの位置づけになっている。
車種やそのコンディションなどディテールが割と細かく描き込まれていて、最近でもバイク雑誌などで氏の寄稿文などを見かける。
結構バイク好きな方なのであろう。
小説「スローなブギにしてくれ」を時々読んでいる。
それなりに気分が上がって何かと重宝する愛読書のひとつだ。
文庫本なので計5冊くらいは買った筈だ。

ちなみに筆者の「気分」はチョットしたグッズで上下し、たった一冊の文庫本を忘れただけで旅行のテンションがいっきに下がったり、仕事中に付けかえた腕時計一本で気分が上がったりする・・・。

心身不調ノ時は、アタマの中身を探しまわって何かしら気分を良くするイメージとか考え方とか言葉を自らの経験と知識で拾い上げようと試みてみることもしたりするけれど案外これがウマくいかない。

それで、ささやかな試みとして、以下のような行動をしてみる。たとえば、本来は革ベルトの腕時計が軽くて手首へのフィット感が良く、好みなのであるが今日は蛍光照明にキラキラと輝くステンレスのブレスレットタイプを右手首にはめたところたちどころに気分が20%は上昇したような気がする。
やはり光り物は目を通して何らかのエネルギー上昇を起こすのであろうか。
5月に入ってから毎日理由の無い、心に湧き起こる虚無感が少しでも軽減されるのは有難いことではある。
かなりお手軽な「楽しみ」で、もっと若い頃はクルマのホイールを交換するだけで1カ月は気分が良い・・・なんてことがあって、我ながら情けないくらい即物的というか単純というか・・・そんなこんなで30年以上仕事をしてこれたので、ある意味ありがたい性向ではあるけれど・・・。

近頃は何を見てもツマラナイ。
特にテレビ。
殆んどの新作映画。
新刊の小説。
ニュース報道、新聞、雑誌、人混み、商店街などを見ていると本当に気が滅入って死んでしまいたくなる。

そこに猫とオートバイ。これには想いのほか心癒される。
我が愛猫はメスのアメリカンショートヘアで、柄はシルバータビー。
前足をそろえて座ると胸に綺麗なハートマークが出来る。
とても甘え上手、愛され上手で撫でる、抱く、くすぐるなど人間のボディータッチを少しも嫌がらず、それらを受ける時に嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らし、筆者が部屋に入ると必ずカラダを擦り寄せ、くちづけをねだり、腹を見せて愛撫を受ける仕草(?)をする。
まるで動きと体温と心を持った縫いぐるみのようで、ペットとして完成品のように思える。
適当に放っておいても良いし、また放っておいてもくれる。
誠に有難い存在だ
殆んど匂いがせず、それこそ「猫毛」よろしく柔らかでスベスベとした毛並みと美しい顔貌(親バカですネ)でじっと見つめられると心がトロけるようだ。この猫は時々一緒に寝てくれるのであるが、なんと腕枕、脇枕。ときに背中同士をくっつけたりしてまるで新妻のようである。

猫ってこんなに可愛かったっけ・・・。

もともと自分にはとても動物を飼えるとは思えなかったけれども「ドラゴンタトゥーの女」で主人公の雑誌記者が独居せざるを得ない状況でノラ猫と一緒に「暮らす」シーンを観た時に、先述したホンノささやかなグッズが心癒やすという自らの心の癖を照らしたので思い切って「清水の舞台から飛び降りる」心持ちで猫飼いを始めたワケである。

内田百聞という作家も一匹の猫への追慕と悲しみに後半生の大部分を過ごしたらしく、その存在(猫)の大きさにはあらためて驚嘆させられる。
猫は腕時計のようなグッズではないけれどそれなりに我が平凡な日常に静かに侵入し、染み込み、部屋のどちらかというと物静かな同居人(?)としてひっそりと住している。
それにオートバイ。KAWASAKI Ninja14R。まるで生き物。
実のところ、こちらの方が可愛い。
物凄く忠実に、素敵に、爽やかに筆者の老体を軽々と陽気に日本の舗装道路を走らせてくれる。
草原のワインディングロードを、夜の高速を、街路を・・・。

低速から中速のコーナーや直線の道路で1400ccの巨大エンジンは立ち上がりから全ての領域でスムーズかつ力強く、運転者は猫科の猛獣と忠実な駿馬を併せたような「愛馬」を駆って夕べの薄闇を突き抜ける時、空中を浮遊する感覚は混乱した過去の鬱気と憂さを吹き飛ばしてくれる。

乗り手を恭しく待って夜の光を浴びながら建物の壁に寄り添うようにたたずむメタリックグリーンの車体は豊穣な肉体を持つ遊女のようになまめかしい。
これらの感情は言葉に書き尽せないほどの喜びに満ちているだけでなく、何らかの生きるエネルギーを生み出してくれているようで有難い。
人間同士のドロドロとした愛憎劇にへきへきさせられたときなど、何よりの確かな癒しをくれるー生き物
たちである。。

単なるノロケ話でした。
読んでくださってありがとうございます。

感謝
M田朋久



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