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■ ぬばたまの | 2014. 4.19 |
枕詞である。 万葉集をはじめ日本の歌には感情を表出する為の段取りというかリズムとしてこの表現があって、響きが良く奥ゆかしい。 表題の「ぬばたまの」は、夜とか闇とか黒とか宵とかそれにつづく絶望とか悲嘆とか困惑とかとにかく一般にはどちらかというとマイナスのイメージを想起させる類の枕詞である。 けれども筆者の心にはこの言葉が心にとても良くFitする。 つまり心の自然の状態で日常全般の根底に流れる思いを突き詰めるとすべて「ぬばたまの」そのものなのに気づかされる。 万葉集の一番のモチーフは「逢えないつらさ」「別れの悲しみ」だそうで、考えてみると恋文というものは殆んどすべてそういうものであり、四季のうつろいにも必ず悲しみが含まれる。 桜満開の春。 「ひさかたの光のどけき春の日にしず心なく花の散るらむ」などと明るい陽光の中でハラハラと散る桜の花びらの中にも人生のはかなさ、うつろい、別れの悲しみなどの人間社会では否定的に捉えられる感覚が明々と潜んでいる。 「出会いのときめき」と「別れの悲しみ」。 これは表裏一体。 これを繰り返していくのが人生というものであり、人間社会というものであり、人間の歴史というものである。 別れの対象は人とは限らない。 物や財産、過去の思い出や若さ、中には認知症による記憶の病的な喪失というものもある。 そのさまざまな別れの中に生きているのが人間とすれば人生における悲しみの問題を誰もが避けて通るワケにはいくまい。 古代人はこの別れの悲しみを積極的に引き受け、結果としてむやみに人と人とが一緒に暮らすことを良しとせず縄文時代がそうで、奈良時代に入っても婚姻制度等による親密・緊密な人間関係、深い絆を良しとしなかったそうである。 それらの微妙な心にありようを歌に詠じ「ぬばたまの・・・」にはじまる黒、黒髪、夜、闇、孤独、混乱、悲しみ、絶望など一見ネガティブな心情を表現する枕詞には何かしらの「夜のやすらぎ」を感じるし、そこはかとない静寂と暗黒の深い海底を優雅に沈遊する深海魚の棲み家に通ずる何かしら神秘なるものを感じとれる。 月の無い闇夜は星のキラメキを引き立たせる。 個人的には「ぬばたまの」につづく歌には深く心癒やされる。 「ぬばたまのその夜の梅をた忘れて折らずに来にけり思ひしものを」 「ぬばたまの夜露の立ちておほほしく照れる月夜の見れば悲しさ」 「うつつには逢うよしもなしぬばたまの夜の夢にも継ぎて見えこそ」 ある方に筆者自身いただいた歌を披露してみたい。もちろんご本人の了解をえている。とても素敵な歌である。 「眠りとはやさしきものよ 時のない 無限の闇に 放たれてゆく」 「病む心いやさむ 深海の魚となり 闇の藻の間に身を休め居る」 「返信を待てば真白き一日なり 窓辺のパソコン夕陽に染まりゆく」 ぬばたまの・・・と同じ香り、味わいのする歌に思える。 ありがとうございました M田朋久 |